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北陸文化

金沢21美・4月22日から 金魚美抄展 深堀隆介さん 「あいまいさ 魅力」

「正解がないのが金魚を描く魅力」と話す深堀隆介さん=金沢市の金沢21世紀美術館で

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 金魚をテーマにした作品を集めたアート展「金魚美抄(びしょう)」(北陸中日新聞、石川テレビ放送主催)が四月二十二日から五月二十一日まで、金沢市の金沢21世紀美術館市民ギャラリーAで開かれる。江戸時代から庶民に愛され、浮世絵や陶芸などにもたびたび描かれてきた金魚。今も多くのアーティストが題材にし、二十二人の作家による約百六十点を展示する。その一人が独自の技法で三次元の金魚をリアルに描く美術家深堀隆介さん(44)。人はなぜ金魚に魅せられ、描くのか−。 (聞き手・松岡等)

 −なぜ金魚を描くように。

 愛知県立芸術大を卒業して五年ほどした時、アートなんか辞めてしまおうと思い、ふと部屋で飼っていた金魚が目にとまった。その時に電流が走ったというか。うろこははがれてボロボロ、片方の目も失っていた金魚が小さな水槽で生きている姿が美しいと感じた。その美しさを描こうと。電流が走ったようでもあり、自分を投影したところもあった。

 子供の頃、絵を描くのが大好きだったのを思い出させてくれた。楽しく描くという基本に帰ることができた。僕はその時のことを「金魚救い」と呼んでいます。

 −樹脂を使った三次元の作品はどうやって。

金魚酒 月花香 85ミリ×85ミリ×55ミリ(台湾・毓繍美術館所蔵)

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 金魚というモチーフはできたものの、自分には作風、画風もない。群雄割拠しているアートの世界では自分にしかない技法がほしかった。樹脂を扱う工房で働いていたことがあったので、ある時に量販店で買ってきて試行錯誤を始めた。

 もしかしたら樹脂の中に描けるかなと思い付いてやってみたのが始まり。絵の具が溶けずに固まった時に、これならいけると。命が吹き込まれ、まさに「水を得た魚」のように見えた。八年間は技法については公開せずに作品を発表してきたが、技法を明らかにして注目されるようになった。

 たまたま金魚のひれの薄さ、肉の透明感を表現できると考案した技法がこれまでの絵画の概念を壊せたのじゃないか。

 −多くのアーティストの金魚の作品が展示される。どこが人をひきつけるのか。

 最初は金魚を描く時にどこか罪悪感もあった。イワシとかサンマなら自然を観察して描いていると言えるが、人工的な、第三者が作った金魚を描くのは、だれかの作品を模写しているような感覚があった。ただ、それが妖しさにつながるのだけど。

四つの桶和金 直径275ミリ×高さ85ミリ(台湾・毓繍美術館所蔵)

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 しかし、よくよく考えてみれば、金魚もまた大自然なんじゃないかとも思えるようになった。金魚は人間に寄生して子孫が繁栄している、したたかな生命体。金魚は人間を利用しているだけだと考えた時に、自然とかそうではないとかの線引きはいらないと思った。

 日本では五百年の歴史があり、金魚は丹精してできた美の結晶。それを日本人は感覚的に知っている。熱帯魚とは違い、同じ赤でも誰かがすごく苦労して生み出したもの。このひれにこだわった職人、このうろこをつくった先人がいて、その結晶として金魚がいる。そして人間がいなくなればフナに戻ってしまうという存在でもある。金魚ほど人に近い魚類はいないのではないか、と。怖さとか毒も感じるし、日本人は洗練された伝統の技を感じとれるのではないか。

 自分にはモデルにする金魚はいない。形が決まっておらず、正解がない。品評会で優勝した金魚を描けば納得なのかもしれないが、金魚の魅力はそれぞれの人の美意識をかなえてくれるところにある。僕が飼っているランチュウにもコブのあるできそこないがいるが、それがめちゃくちゃかわいい。

 あいまいで「これが金魚です」と言えない存在であるのがひきつけるところ。僕の作品にはモデルがいない。写し取るリアリズムではなく、僕の理想のリアリズム。そうやって自由に描けるのも魅力ではないか。

     ◇

 深堀さんのライブペインティングが四月二十九日午前十一時から、同美術館シアター21である。入場には展覧会入場券が必要。

 

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