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北陸文化

【街の記憶 前田マリ】(21) 箔のこと

「きんのつる、ぎんのつる」

写真

金と銀 暮らしとともに

 勝手に手が動くのは、たのしかった。久しぶりに鶴を折ったのである。これがペンギンだったら容易じゃない、この折り紙に付いている折り方をみながらだった。

 小学一年のとき、千羽鶴を折った。クラスメートの病気の回復を祈りながら。友だちの何人かで折ったから、私が折ったのは百羽くらい。あのころの日記には、よる、すこしつるをおりました、や、ともだちのいえでおりました、と、鶴のことばかり記してある。百羽も折ったから、私の手は十分に鶴の折り方を会得したのだろう、あれから五十年ちかくたっても覚えていた。

 鶴を折りにいったNの家の部屋には、彼女の勉強机に、もうひとつ座机もあった。その横に四角の箱がある。のぞくと金の小さな片たちが、私のかすかな鼻息に、いっせいにゆらゆらと踊りはじめた。別の日、そこにNのおかあさんが座り、長い竹の箸のようなものを器用に操ったり、枠のようなものをあてがったりしている。枠のそとのところは、あの箱へ…。部屋のなかにぴんとした緊張感が漂い、私たちは鶴を折るのもやめて、息をこらして見入っていた。Nは、金箔(きんぱく)の移しの仕事をしている、と言っていた。

 私の母方にも箔を生業とする人たちがいた。金、そして銀の箔。大きな敷地の一角が作業場だ。通りから路地に曲がるやきこえてくる。作業場の耳をつんざく轟音(ごうおん)、箔を打つ仕事だった。

 あのころ、母の口からたびたび柿渋という言葉をきいた。でも箔は金や銀をそのまま打ちのばすのではなく、紙があってのこと、その紙は、この土地の水で漉(す)いたものがよいこと、箔を打つものは、その紙に工夫を加え仕込むこと、紙によって箔がみせる表情のちがうこと…。私がこれらのことを知ったのは、ずっとずっと大きくなってからである。柿渋は、灰汁(あく)などとともに、箔打ち紙の仕込みの際に重要なものだった。

 寒い夜には屏風(びょうぶ)をたててもらい、私は眠った。古い家のあちこちから忍び入るすきま風から、金や銀の枕屏風は私を守ってくれる。屏風がみえなくなるときが、春の訪れの合図だった。朝や夕には、仏壇の前に祖母の姿があった。おうちのなかのちいさなお寺さん、と私が名付けた仏壇は、よその土地ではお目にかかれぬ、金箔が張りめぐらされたものである。晴れの日には金や銀を彩った陶磁器や漆器のおでまし…。

 久しぶりに折った私の金と銀の鶴は、こんな箔の記憶も運んできてくれた。

(まえだ・まり=イラストレーター・画家、金沢・東山生まれ)※次回は4月1日付

 

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