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北陸文化

【寄稿】「ボブ・ディランにノーベル文学賞」の事情 三井徹(元国際ポピュラー音楽学会会長)

「詩の口頭表現に卓越」

選考過程に興味津々 

 ノーベル文学賞をボブ・ディラン氏に授与することが発表されたのは十月十三日だった。

 二カ月後の十二月十日の授賞式には、同氏は「先約」があって欠席する由だが、このあたりで授与事情を整理しておきたい。

 授与の理由は、スウェーデン・アカデミーの事務局長、サラ・ダニウスさんが十月十三日の夜、英語で発表した一言によると、「米国の大きな歌の流れの中で、詩の新たな表現様式を創出してきた」ことだった。世界中に発信されたその一言のあと、記者の質問に答えた事務局長の言葉を追っていくと、「ミルトン、ブレイクから続く優れた英語詩の流れにある卓越した詩人」であると言う。しかし、それは紙面上の詩ではなく、口頭の流れのものであると断り、二千五百年前を振り返れば、ホメロスもサッフォーも歌われる詩を作り、しばしば楽器を伴って歌ったのだったと引き合いに出す。いきなり古代ギリシャを持ち出さなくとも、数世紀前に遡(さかのぼ)れる英語圏の歌う詩の流れがあるのにと思うものの、口頭表現であることは押さえている。

 その事務局長の発言にはないものの、結局、「シンガー・ソングライター」としてのディランにノーベル文学賞は授与された。ディランは、言葉と音楽から成る歌を作り、自分の声と伴奏で歌う人である。諸メディアが示した、「歌手」「ミュージシャン」に授与は異例という観点は的外れだった。

 事務局長はさらに、ディランの曲目は、「アパラチア山脈の民謡、南部のデルタ・ブルーズから、フランスのモダニズムのランボーにまで及び、その文化遺産をまったく独自の流儀で処理している」と言う。さすが詳しいものの、その勉強は最近であるのが透けて見え、履歴を調べると、事務局長は、ディランの初アルバムが出たのと同じ六二年の三月生まれという年齢だった。ディランの作品のなかでも六六年のアルバム『ブロンド・オン・ブロンド』に特に注目している事務局長は、若い頃ディランはよく聴いていたかと記者に問われ、きちんと味わうようになったのはもっと後のことで、世代的に「私はデイビッド・ボウイのファンでした」と答えている。

 文学研究者のその事務局長が、十八名から成る同アカデミーの一員になったのは三年前の十二月であり、事務局長になったのは昨年の六月と極めて新しい。同アカデミーの顔ぶれを見てみると、二十一世紀に入ってから選出された会員が他に八名もいる。ディランが文学賞の候補に挙がり始めたのが九六年からという噂(うわさ)からすれば、そろそろ米国人をという思惑と絡めて、選考が柔軟になったことに不思議はないようだ。ノーベル賞の選考過程が公表されるのは授賞の五十年後とのこと。どなたか半世紀後に確認してくれませんか。

 それにしても気になるのは、アルフレッド・ノーベルは、爆薬や兵器の開発をもとに巨万の富を築いたという。「砲弾はいったい何回飛べば、永久に禁止されるんだ」と歌ったディランにその富の一部が授与される。

  (金沢大名誉教授)

 みつい・とおる 佐賀市生まれ。愛知大講師を経て1969年から金沢大講師、助教授、教授として英語を担当し、93年からは新設の大学院音楽科で音楽学も担当。2005年に退官、名誉教授。90年創設の日本ポピュラー音楽学会初代会長、93〜97年には国際ポピュラー音楽学会会長を務めた。米英、日本の音楽に関する編著書、訳書など多数。

 

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