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北陸文化

【本谷のこだわり学 重伝建の巻】 弘前市仲町(なかちょう)(青森県弘前市)

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サワラ生け垣武家町の風情

 津軽平野の南部に位置する青森県弘前市は、三方を山に囲まれた城下町です。その歴史は天正十八(一五九〇)年に南部為信が津軽藩を創設して、慶長八(一六〇三)年に新しい城を計画し、翌年から町割りに着手したことに始まります。町割りは慶長十六(一六一一)年にほぼ完成し、二代藩主津軽信牧(のぶひら)が入城しました。

 城は当初「高岡城」と称し、その城下を「高岡町」と呼びましたが、寛永五(一六二八)年に弘前と改称されました。その後四代藩主信政の時に、城内に住む武士の城外移転などを行い、町割りの再編と整備が行われました。

 今回紹介する弘前市仲町(なかちょう)は、弘前城の北に位置し、亀甲門(かめのこうもん)から出てすぐの所にあり、東西約六百メートル、南北約二百メートルのほぼ長方形の範囲に収まります。しかし、「仲町」は実在する町名ではなく馬喰町などを含む地域の総称です。

旧岩田家の門とサワラの生け垣=いずれも青森県弘前市で

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 江戸時代の慶安年間(一六四八〜五二年)の絵図と寛政年間(一七八九〜一八〇一年)の絵図を比較すると、若干の変化はあるものの、地区内の敷地は間口五間〜十二間、奥行き約二十間と細長い地割で、現在もほぼこの地割が踏襲されています。仲町の緑地公園には寛政年間の地割を後世に伝えるために、実際の広さを石で表示しています。

 保存地区内には、明治時代以降に増改築が行われた住宅もありますが、江戸時代の建物もたくさん残っています。主な建物は、旧笹森家(弘前市が主屋と門の寄贈を受けて、二〇一二年に移築復元した弘前市最古の建物)、旧岩田家住宅(中級武士の家)、旧伊東家(弘前市内から移築された藩医の家)、旧梅田家(百石取りの武士の家)などです。

 加えて冠木(かぶき)門や薬医(やくい)門も残り、道路脇のサワラの生け垣が武家町の風情を増しています。ちなみに、津軽地方では江戸時代から屋敷まわりには「外からは見えにくく、内からは見通しが良い」というサワラ垣を作るのが一般的でした。

仲町の町並み

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 弘前市仲町は一九七八(昭和五十三)年に重伝建に選定されましたが、東北地方では秋田県の仙北市角館に続く二例目の選定でした。しかし、私が訪問した九月上旬は観光客もおらず、東側の区域で石畳風舗装の工事中ということもあって雑然としており、「重要伝統的建造物群保存地区らしくない」というのが第一印象でした。

 息子さんが金沢大卒と言う地元の六十代の男性から、「三年くらい前から電柱をなくし、石畳風の舗装工事を始めましたが、ここはまだ整備の途中です。金沢の重伝建に比べると観光客も少なく見劣りしますが、静かでいい所ですよ」との話を聞くことができました。

 最後に、弘前市仲町に行かれる予定の方は、弘前城天守と、津軽地方の歴史と美術を展示する弘前市立博物館も同時に見学することをお勧めします。(本谷文雄=大衆文化研究家)

 ◆基本データ◆

 所在地 青森県弘前市 大字馬喰町の全域、ならびに大字若党町、及び大字小人町の各一部

 種別  武家町

 面積  約10・6ヘクタール

 選定年 1978年

 選定基準 伝統的建造物群、及び地割がよく旧態を保持しているもの。

 

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