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北陸文化

青年が撮ったイタイイタイ病 闘いと日常見つめて

婦中町現場検証▼ 富山地裁による現場検証を見詰める原告の患者たち。その表情に公正な裁判を求める思いがみなぎる(1969年5月)

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家に引き込まれた神通川の水▼ 旧婦中町(現富山市)では家屋の内部まで神通川の水が引き込まれているのが普通だった(1968年8月)

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法廷での撮影▼ 当時は法廷内でも撮影ができた。開廷を待つ原告たち。ハンカチをあてているのは暑さから。腰掛けの後ろが傍聴席(1969年9月)

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 横を向いてしか階段を下りられない患者たち、神通川の水を引き込んでいた家屋、信頼できる医師に見せるほっとした表情、裁判、亡くなった患者の野辺送り…。カドミウムによる腎障害が引き起こす骨軟化症の痛みに苦しむ患者、家族の日常とそれを支えた支援者たちの姿がモノクロ写真でよみがえる。

 四大公害病の一つのイタイイタイ病は一九六八年五月、初の公害病として認定された。その七月、十八歳の青年が写真を取り始めた。患者、住民が主体となって裁判を勝ち取る一九七二年八月までの約五年間、節目ごとに富山に入り、五年間に撮ったフィルムは約千本、三万六千カットに及ぶ。

 青年は当時、東京総合写真専門学校生だった写真家の林春希さん(66)=名古屋市。神通川の河川敷で仲間とテントを張って寝泊まりしていたのを、イ病対策協議会の会長を務めた故小松義久さんが家に招いたのがきっかけだった。林さんは小松さんのそばで、イ病の歴史の中で最も重要な時期をファインダー越しに見詰め、フィルムに刻んだ。

 イ対協に寄贈された写真のうち約七千枚を富山県イ病資料館が保管。一部は展示されたが、多くのネガは眠ったままだ。「イ病を知らない若い人たちのためにも、広く活用してほしい」と林さん。イ病を語り継ぐ会が十六日に富山市で開いたスライドトークでは会場から「よくぞ撮ってくれた。富山の財産」という声が上がった。 (松岡等)

台所に立つ小松みよさん▼ 原告の象徴的な存在だった小松みよさん。イ病により身長が30センチも縮んだといわれ、台所も低くしつらえられたという(1970年11月)

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萩野病院で診察を受ける患者イ▼ 病の原因究明と患者救済に尽くした萩野昇医師(中)。林さんは病院内にも入り、患者の自然な表情をカメラに収めた(1969年1月)

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県庁の陳情を終えて▼ 富山県への陳情を終えて正面の階段を降りる患者たち。痛みからだろうか、助けを借りながら一段一段を横になって下る(1969年7月)

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野辺送り▼ 亡くなった患者の野辺送り。ひつぎを担ぐ人々はどんな思いだったか(1969年10月)

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