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北陸文化

【本谷のこだわり学 重伝建の巻】 金ケ崎町 城内諏訪小路(岩手県)

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半士半農の暮らし浮かぶ

 現在、東北六県には八カ所の重伝建があり、この内、武家町の選定は青森県弘前市仲町と秋田県仙北市角館、今回紹介する岩手県金ケ崎町城内諏訪小路の三か所です。角館は多くの観光客でにぎわっていましたが、岩手県南西部に位置する金ケ崎町は平日ということもあって静かでした。

 さて、天正十九(一五九一)年以降、金ケ崎は伊達氏の支配となりました。ここは伊達領内の北に位置し、南部藩と接することから北上川に面する台地に要害が置かれました。要害とは城に準ずる軍事的支配拠点で、金ケ崎要害は仙台藩二十一要害の一つで、仙台藩の北端を守る防御の要でした。

片平丁・旧大沼家侍屋敷=写真はいずれも岩手県金ケ崎町で

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 その後、正保元(一六四四)年に所替えになった大町備前定頼によって、北上川の川岸に建つ城を中心に家臣の屋敷が配置されました。しかし、現在は本丸や二の丸の遺構の一部が北上川によって浸食され、残念ながら当初の姿を見ることはできません。とはいえ、要害及び武家地は当初の地割を留め、茅葺(かやぶき)の主屋(おもや)を持つ武家住宅などの伝統的建造物も残っています。

 金ケ崎町城内諏訪小路の保存地区範囲はかなり広く、かつての要害と武家地のほぼ全域にあたります。武家町は城を囲むように七つの小路(道路)に沿って配置され、敷地の北側と西側には「エグネ」と呼ばれる屋敷林が帯状に配されています。

 間口の狭い敷地は奥行きが広く、ドウダンツツジなどの生け垣と石積みで囲まれ、その切れ目が出入り口となっています。そして敷地内の入り口近くには板倉。その奥には主屋・馬屋(うまや)・廁(かわや)が並び、その奥には土蔵が配されるのが一般的な配置で、畑も確保され、ここでは武士といえども半士半農の生活をしたことが分かります。

 私は東北線金ケ崎駅に駐車し、観光案内所でいただいた地図を手に二時間以上歩きました。あまり観光地化されていない武家町の良さを堪能しましたが、県道108号線が町を分断していることが残念でした。

侍屋敷前の小路。ゆるくカーブする

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 金ケ崎の旧城下を知るための施設として、金ケ崎要害歴史館がお薦めです。展示資料と分かりやすい説明文で初心者でも理解できると思います。私がこの施設に辿(たど)りつくまでに道に迷ったことを伝えると、六十代の女性職員は「地元の人からあまり観光地化してほしくないという要望があり、町内の説明看板も少なくしている」と回答がありました。さらに「高齢化・過疎化が進み、空き家も増え、庭の管理も難しい。これからは若い人が守ってくれることを願っているが、重伝建の規制の中で生活していくのは難しい」と教えていただきました。 (本谷文雄=大衆文化研究家)

 重要伝統的建造物群保存地区(重伝建) 市町村が決めた伝統的建造物群保存地区(伝建)の中から特に価値が高いとして国が選んだもの。文化庁によると、茶屋町の金沢市東山ひがしや山村集落の富山県南砺市相倉など、ことし5月現在で全国に111カ所ある。

◆基本データ◆

 所在地 岩手県金ケ崎町 西根裏小路、刈谷・白糸、達小路、六軒丁の全域など

 種別 武家町

 面積 約34・8ヘクタール

 選定年 2001年

 選定基準 伝統的建造物群および地割がよく旧態を保持しているもの

 

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