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本展のみどころ

長沢芦雪の代表作が一望できる貴重な機会

 芦雪の大規模な展覧会は、2000年に千葉市美術館と和歌山県立博物館で、2011年に滋賀県のMIHO MUSEUMで開催されていますが、東京や京都・大阪などでは未だありません。
 巡回展や会期の長い展覧会では、作品保護のため途中で大幅な作品の入れ替えが行われますが、愛知県美術館だけでの今回は展示替が4点(予定)しかなく、屏風や襖絵などの大作は全会期展示されます。もともと全国的にも広い企画展示室にコレクション展用の一室を加えた会場で、芦雪の代表作をたっぷりとご覧になれます。

無量寺の空間を初めて再現展示

無量寺 方丈室中(写真協力 大日本印刷株式会社)

無量寺 方丈室中(写真協力 大日本印刷株式会社)

 芦雪の作品で最も有名な《虎図襖》は、本州最南端にあたる和歌山県串本町の無量寺で、《龍図襖》と向かい合わせに描かれました。襖6面のうち4面分がある「室中の間」から仏間の本尊仏像を拝するとき、薄暗い仏間から龍虎が出てきて拝む人を囲むように感じられます。現在、本堂の襖には高精細印刷の複製画がはめられ、実物は収蔵庫でほぼ同じ配置でみることができますが、展覧会でこのように配置される機会は今までありませんでした。この展覧会では、畳や柱など無量寺のしつらえまでも展示室に再現して、本物の龍虎図をご鑑賞いただきます。

 本展では更に、「室中の間」を挟む二部屋の襖絵も再現展示します。主題に応じて描法を大きく変える芦雪の技に目を見張られるとともに、モティーフのつながりなどにも気づかれることでしょう。
無量寺上間二之間(《薔薇に鷄・猫図襖》)

無量寺上間二之間(《薔薇に鷄・猫図襖》)

部屋の角に岩を描いて空間を現実的に表現。虎図の顔の裏側に描かれた猫の姿にも注目!

無量寺 方丈室中(写真協力 大日本印刷株式会社)

拡大図

無量寺上間二之間(《唐子琴棋書画図襖》)

無量寺下間二之間(《唐子遊図襖》)

中国の士君子のたしなみ「琴棋書画」を演じる子供たちは、寺子屋のいたずら坊主のよう。芦雪はあの手この手で楽しませてくれます。画中の奥行ある表現に対して、右上端のネズミは無量寺の天井から襖の上に現れたかのよう。一方、左端で画面奥へ消え入るように駆けていく子供たちは意味深げです。

芦雪が描くかわいい生きものたち

 奇抜な構図や大胆な筆づかいが目に付く芦雪ですが、子供たちや子犬、雀や蛙、そして蟻やなめくじに至るまで、小さな生きものも数多く描いています。その活き活きとしてかわいらしい姿には芦雪の意外なほど優しい眼差しが感じられ、観る者を惹きつけて止みません。

《蛙の相撲図》

《蛙の相撲図》

《なめくじ図》

《なめくじ図》

初公開作品など

 応挙に入門する前、「于緝(うしゅう)」という雅号で描かれた10代半ばから20代半ばの最初期作品は、これまで2点が研究者の間で知られていただけでしたが、近年さらに2点が発見されました。本展ではこれら4点全てが初公開されます。
 また、逸翁美術館所蔵の《降雪狗児図》は黒っぽく染めた紙に油絵のようなタッチで描かれた実験的作品ですが、過去の芦雪展に出品されたことはありませんでした。本展では新出の作品を含め、同様の技法による作品4点を展示します(うち1点は10/24(火)から11月5日(日)のみの展示予定)。

《関羽図》

《関羽図》

関羽は『三国志』に登場する武将。衣服部分などで波打つ特徴的な線は、中国の絵画や版画をまねたかと考えられます。本展の第2章と第5章にも関羽図があり比較ができます。

《降雪狗児》

《降雪狗児図》
公益財団法人阪急文化財団
逸翁美術館

黒い地の紙に、輪郭線を用いず油絵のようなタッチで絵具を塗り重ねて、子犬の姿を浮かび上がらせています。ゆっくりと降り落ちてくる、桜の花びらのような雪も黒地に映えています。芦雪作品によく登場する後ろ向きの黒い子犬は、「黒」と「犬」の漢字を合わせた「黙」の象徴ではないかという説もあります。

長沢芦雪とは?

応挙門下のずば抜けた奇才

 京で圧倒的な人気を誇った円山応挙の弟子は、千人を超えたと言われます。その中で芦雪は若くして師の画法を完璧に身につけたばかりでなく、応挙の実験・開拓精神をも自分のものとして独創性を発揮し、師の型を打ち破った唯一の存在といえます。
 一方芦雪は自在で外連味(けれんみ)の多い絵画表現から、その人柄も奔放で時には不遜と憶測されて、応挙に3度破門されたとか、殿様の御前で独楽の曲芸を披露中に受け損ねて片目を失明した、といった数々の伝説があります(ほとんどは根拠を否定されていますが)。あふれる才能を妬まれたらしく、大阪での急死にも毒殺説や自殺説が流れたほどです。

長沢芦鳳《長沢芦雪像》
千葉市美術館

芦雪の養子となった13歳年下の弟子、芦洲(1767-1847)の子芦鳳(1804-71)が描いた芦雪の肖像画。芦鳳は芦雪没後の生まれですが、長い眉や意志の強そうな顎などが特徴的です。

長沢芦鳳《長沢芦雪像》

若冲よりも芦雪?

 若冲ブームは2000年京都国立博物館での展覧会で火が付き、昨年東京都美術館での若冲展は、最長300分という待ち時間も話題となりました。若冲といえば、1950年代に日本人が忘れかけていた若冲を“発見”して江戸絵画の大コレクターとなったジョー・プライスさんが有名ですが、「一番お好きな絵師はもちろん若冲ですよね?」と問われたジョーさんが答えた名は芦雪なのです。特に無量寺の《虎図襖》のことは「世界一の絵」と呼ばれ、「この絵を手に入れられることなら、きっと私は自分のコレクションを擲(なげう)つことでしょう(笑)」とも。本展ではプライスコレクションから、若冲の《鳥獣花木図屏風》に次いでよく知られた芦雪の傑作《白象黒牛図屏風》をご出品いただきます。

白象黒牛図屏風
白象黒牛図屏風

《白象黒牛図屏風》
エツコ&ジョー・プライス
コレクション

地面に伏せても屏風に収まりきらない象と牛。白象の背中に黒いおしゃべりカラスが二羽。黒牛のお腹の横でくつろぐ白い子犬は、大人気のキャラクターです。

展覧会構成

第一章 氷中の魚:応挙門下に龍の片鱗を現す

 宝暦4(1754)年、丹波国篠山藩士の子として生まれた芦雪は、京に出て円山応挙に入門し、29歳の天明2(1782)年には京の文化人名録『平安人物誌』の画家の部に名が載るまでになりました。
 芦雪の絵に捺された印章でとりわけ印象的なものとして、天明6(1786)年から最晩年まで愛用された大型の朱文氷形印「魚」があり、これに関係する逸話が伝えられています。冬の朝氷が張った水中に閉じ込められていた魚が、帰り道では氷が融けて自由に泳いでいるのを見た、と芦雪が応挙に話したところ、応挙はそれを自分の修業時代に譬え、苦しい修行も段々と氷が融けるように画の自由を得られるようになると語ったというものです。20歳代の芦雪は応挙の画法をほぼ完璧に習得した上で、花鳥図の動勢や美人図の妖艶さなどに個性の片鱗も示し、30歳頃の《岩上猿・唐子遊図屏風》では、左右隻の対比や枝分かれして流れ落ちる水の表現など、応挙風に留まらない特色が表れています。

《牡丹孔雀図》下御霊神社

《牡丹孔雀図》下御霊神社

細部まで入念な描写で、孔雀が突き出す首の立体感は応挙の得意技ですが、不安定な場所で踏ん張る姿勢やふわふわとした羽毛の動き、こぼれ落ちる宝石のような羽の模様に新味があります。

《虎図》オオタファインアーツ

《虎図》オオタファインアーツ

びっしりと描かれた毛並みは応挙ゆずりですが、精悍な顔つきと強い眼力に釘付けとなります。丸い肉球や尻尾の白い輪模様、さらりとした竹の描法も魅力的です。

《岩上猿・唐子遊図屏風》
《岩上猿・唐子遊図屏風》

《岩上猿・唐子遊図屏風》

唐子と子犬たちの端正な線描と、やや荒々しい筆づかいによる岩を対比させ、また一人一人・一匹一匹の表情を描き分けながら、全体として清らかな空気に満ちています。

第二章 大海を得た魚:南紀で筆を揮う

 天明6(1786)年10月頃、33歳の芦雪は応挙の名代として師の作品を届けるため南紀に赴き、翌年2月中旬にかけて、臨済宗の成就寺・無量寺・草堂寺、真言宗の高山寺など現地の寺院や個人のために多くの作品を残しています。師と京都を離れ大海原を望む地で、障壁画の大画面を与えられた芦雪は数多くの画題をのびのびと描ききり、この南紀滞在は芦雪の創作に大きな飛躍をもたらしました。本章では南紀における芦雪の作画の幅広さと高まりを紹介します。なお芦雪の代表作といえる無量寺障壁画《龍・虎図襖》及びその各裏面にあたる計三室の襖絵は、同寺方丈の配置としつらえを展示室に再現し、鑑賞者がその空間に身を置いて、龍と虎が仏間の聖界から手前に飛び出して来たかのような見え方をご体感いただけるものとします。

《虎図襖》《龍図襖》(重要文化財) 無量寺・串本応挙芦雪館

《虎図襖》《龍図襖》(重要文化財) 無量寺・串本応挙芦雪館

日本絵画史上最大のこの虎は、襲いかかろうとする躍動感とともに、猫のような顔やくるりと輪になった尻尾などの愛嬌も魅力的です。雲を裂いて現れた龍もその表情や、虎の尻尾に応じるかのように先端を巻いた髭などがどこかユーモラス。襖を立てたまま一気呵成に描いたらしく縦に流れ落ちる薄墨は、龍が雷とともにもたらす大雨も感じさせます。

《群猿図屏風》(重要文化財) 草堂寺
《群猿図屏風》(重要文化財) 草堂寺

《群猿図屏風》(重要文化財) 草堂寺

右隻は崖に続く黒い三角岩の頂に独りで坐り下界を見下ろす白猿、左隻には白い水辺で子猿を含め5匹の黒猿が営む日常。右隻で流しかけられた薄墨とその上の飛沫、蔦を表して走る墨線は、猿がいなければまるでアクションペインティングによる抽象画の大傑作のようです。

第三章 芦雪の気質と奇質

 若冲や蕭白の“天然の奇想”に比べ、彼らより一、二世代若い芦雪の奇想はやや人工的・作為的だと指摘されます。また「穏やかな応挙の作風とは対照的」とも語られますが、先人とは異なる新しい絵をつくること、観る人を驚かせ楽しませることは応挙の信条でもあり、芦雪の作品によって応挙に潜んでいた「奇」に気づかされることがあります。
 この師弟の本質的な相違として、応挙があくまでも対象の特性を描き出そうとするのに対して、芦雪画では龍や虎にも芦雪自身が乗り移っているかのように見えることが挙げられるでしょう。芦雪が描く唐子や猿の豊かな表情や、擬人化の強い子犬などには、若冲・蕭白の作品や文人画に類を見ないほど、画家の率直な心情が表れているようです。本章では応挙の作例も交えて、芦雪の特質をより明らかにしようと試みます。

芦雪《薔薇蝶狗子図》

芦雪《薔薇蝶狗子図》
愛知県美術館
(木村定三コレクション)

応挙《狗之子図》

応挙《狗之子図》
一般財団法人
高津古文化会館

《牧童吹笛図》久昌院

《牧童吹笛図》久昌院

手や指、爪などに墨を付けて描く「指頭画(しとうが)」は、筆よりもストレートに心を表現するものとして、日本では池大雅などの文人画家が用いました。芦雪は禅の主題による指頭画も多く描いています。

第四章 寛政前・中期:充実と円熟

 芦雪の30歳代後半から46歳で没するまでの約十年間は、寛政元年から11年(1789-99)にあたります。その前半期には奈良薬師寺障壁画や応挙一門としての御所障壁画制作などを手掛け、また花鳥画での彩色法の進展や、山水画における鋭角的なデフォルメと生動感など、芦雪の画技はますますの冴えを見せます。一方この時期には幼い娘と息子を相次いで亡くす不幸もありました。《唐子睡眠図》や《蓬莱山図》などでは、これまでの奔放さや諧謔味とは異なる、しみじみとした愛情や幸福への希求が現れています。

《松竹梅図》千葉市美術館

吉祥画題の三幅対で、旧所蔵者の箱書きには「光琳写」とあり、尾形光琳作と思われていたようです。苔のたらし込み技法などは琳派風ですが、松竹梅それぞれを変形しながら図案的ではなく、癖のある造形は芦雪らしいものです。

《松竹梅図》千葉市美術館
《松竹梅図》千葉市美術館
《松竹梅図》千葉市美術館
《蓬莱山図》(重要美術品)

《蓬莱山図》(重要美術品)

蓬莱山は中国の東海上にあるとされる仙境。画面手前には砂粒状の白絵具を散りばめた州浜が広がり、左上の山頂にある楼閣に仙人たちが集まっています。右上空から仙人が乗った鶴の編隊が飛来し、右岸からは亀の行列が山への道に向かっています。この絵を観る人も空想の景色に入っていけそうな楽しい作品です。

第五章 寛政後期:画境の深化

 寛政後期には、月の光を背景にシルエットとして山や樹木が浮かび上がる風景が多く描かれています。水墨による技巧の高さにも目を奪われますが、作品全体に満ちた抒情と妖しいまでの美しさの中には、厳しい孤独感や無常観も潜んでいるようです。また、岩や樹木までもがうごめくかのような山水画や山姥図などグロテスクへの傾向も指摘されますが、一見怪異なその画中にも、静かに澄んだ遠景や母子の愛情などが表されており、表面的な奇想を遙かに超えた心境の変化、画境の深化が窺われます。45歳の寛政10年、わずか一寸四方に描かれた《方寸五百羅漢図》では新奇への意志がみなぎり、翌年の死が惜しまれます。この最終章では、芦雪がその早すぎた晩年に目指した高みを示すにふさわしい作品を集めご紹介します。

《月夜山水図》公益財団法人頴川美術館※11月5日(日)までの展示

《月夜山水図》公益財団法人頴川美術館
 ※11月5日(日)までの展示

蕨(わらび)のような形の松を頂いた高山の向こうに山影が霞み、その上空に満月が昇っています。線を用いない墨の濃淡だけで表され、絹地を塗り残された月が輝いて見える技は絶品ですが、あまりの美しさは妖しく、松のシルエットは幽霊のようで、孤独感や怖ささえ覚えます。

《方寸五百羅漢図》

《方寸五百羅漢図》

一寸四方の小画面に五百人の羅漢を描くという、余人なら思いついてもできない作品です。中央の白象に釈迦と思われる人物が立ち、龍虎や獅子の姿も見えます。2010年に82年ぶりに発見され、翌年の芦雪展で公開されました。