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【スポーツ】

[ラグビー]最年長46歳、釜石の伊藤 引退を表明

2017年12月7日 紙面から

突破力は46歳の今季も健在だった(5月のIBC杯帝京大戦)=盛岡市のいわぎんスタジアムで(大友信彦撮影)

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 鉄人がついに現役にピリオドを打つ。日本ラグビー界の現役最年長、46歳でプレーを続けてきた釜石シーウェイブスの元日本代表FW伊藤剛臣が今季限りで現役を退く。6日、伊藤本人が明かした。釜石は今季、トップリーグ下部のトップチャレンジリーグで5位以下となり、来季のトップリーグ昇格が消滅。伊藤は「体力的にも精神的にも燃え尽きた」と語った。今後の進路は未定。

 鉄人がスパイクを脱ぐ日が来た。「5日の練習前のミーティングで、チームのみんなには伝えました。現役最後の炎を釜石で燃やすことができて幸せでした。楽しかった。最高でした」。伊藤は声を弾ませた。笑顔の引退となった。

 法大3年のとき、大学選手権に優勝。神戸製鋼に進んでV7に貢献し、日本代表では2度のワールドカップ(W杯)に出場するなど、62キャップを誇る。

 2011年度、40歳のシーズンを最後に神戸製鋼から戦力外通告を受けると、自ら釜石に乗り込み、押しかけトライアウトで合格。不惑ながら体を張ったプレーを続け東日本大震災からの復興を目指す釜石、そして東北に勇気を発信し続けた。

 45歳で迎えた昨季は11試合中10試合に先発したが、今季は7試合を終えて先発は1。残りの試合も途中出場でいぶし銀の働きを見せていたが、チームは新設のトップチャレンジリーグ第1ステージで5位と低迷。来季のトップリーグ昇格が消滅したことも、引退を促したようだ。

 とはいえ、本人に悔いはうかがえない。

 「体力的にも精神的にも燃え尽きました。神戸で戦力外になったときは妻も両親も『まだプレーする姿を見たい』と言ったけれど、今回は笑顔で『お疲れさま』と」

 引退後は「まずはゆっくり休みたい。僕は東京下町(荒川区日暮里)の出身なので、そこをベースに第2の人生を考えたい」と言う一方、「19年には釜石でW杯があるし、役に立てることがあれば何でもしたい。その前に、チームの残り3試合に使っていただけたら全力でプレーします」

 釜石シーウェイブスの次戦は9日(江戸川区陸上競技場)のトップチャレンジ第2ステージ・中部電力戦。その後2戦は広島と名古屋での開催で、東京での鉄人のジャージー姿は見納めとなる。 (大友信彦)

◆一問一答

 −引退決意の理由は

 伊藤「今年はベンチスタートがほとんどで、僕自身、全試合で80分出るのは厳しいし、潮時かと思った。若い選手も伸びてきていますからね、高橋聡太郎とか」

 −決意の時期は

 「トップチャレンジリーグの第1ステージ最終戦(11月25日・中部電力戦)後。妻に話したら『お疲れさまでした』とねぎらってくれた。両親も同じでした」

 −チームメートには

 「5日の練習前ミーティングで桜庭GMから発表してもらいました。主将の須田と前主将の佐伯には先に伝えて、『ありがとうございました』と言われて『こちらこそありがとう』と返しました。全員に感謝です」

 −神戸で18年、釜石で6年の現役生活だった

 「僕のラグビーとの出会いは小学生のとき、新日鉄釜石の7連覇、国立競技場、大漁旗、松尾雄治さんに憧れてから。その釜石で現役を終えられて本当に幸せです」

 −現役選手でいるのも残りわずか

 「長い現役生活だったけど、終わるとなるとあっという間だった。残り3試合で使ってもらえるよう練習で全力を出し切ります」

<伊藤剛臣(いとう・たけおみ)> 1971(昭和46)年4月11日生まれ、東京都荒川区出身の46歳。185センチ、95キロ。法政二高(神奈川)でラグビーを始め、3年で高校日本代表。法大3年で大学選手権優勝。卒業後は神戸製鋼入り。94年度の日本選手権V7、99〜2000年度の日本選手権2連覇、03年度のトップリーグ初代王座獲得に貢献した。12年に神戸製鋼から戦力外となり、トライアウトを経て釜石シーウェイブス入り。日本代表では15人制で1999年、2003年W杯に出場するなど62キャップ(歴代7位)を誇る。7人制でも1993年、97年のW杯に出場。

 

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