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【蹴球探訪】

異端のレジェンド 土屋征夫 41歳9カ月“J1最年長出場”

2016年5月25日 紙面から

記者の質問に笑顔で答える甲府・土屋=山梨中銀スタジアムで(小沢徹撮影)

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 J1ヴァンフォーレ甲府のDF土屋征夫(ゆきお)が14日のホーム名古屋戦(山梨中銀スタジアム)で先発し、ラモス瑠偉(V川崎)を抜いて史上2位となる41歳9カ月14日でのJ1リーグ戦出場を果たした。J1最年長記録は札幌時代の中山雅史(現JFL沼津)の45歳2カ月1日で、磐田時代の42歳2カ月5日も土屋を上回るが、いずれもJ2降格や退団が決まった後のホーム最終戦での“顔見せ”の数分間。堂々の主力として事実上、記録を塗り替えたといえる異端のレジェンド。その人物像に迫る。 (宮崎厚志)

◆今でも甲府の主力DF!!

 甲府が練習拠点のひとつとする山梨医大グラウンドの片隅に、1本のさびた鉄棒がある。名古屋戦翌日の15日も、土屋は、若手2人を引き連れてそこへ向かった。「オレ、65歳くらいまでやれるかな?」「65ですか!?」「もう死んでるか」「死んではないでしょ!!」。そんなかけあいをしながら鉄棒をつかむと、懸垂、逆上がり、ぶら下がりという動作を7セット繰り返した。「この鉄棒のおかげでシモビッチに打ち勝ったんだよね」。最先端の体幹トレーニングとはかけ離れた昔ながらのやり方だが、前日に名古屋の199センチエースとの空中戦をことごとく制した土屋の言葉には、不思議な説得力があった。

 J1現役最年長であり、7月には42歳を迎える。純粋なチームの戦力としては、日本サッカー界を代表するレジェンドである中山を超えた。ただ、土屋はそんなことはどうでもいい、と言わんばかりに笑った。「昔から年齢は意識せずにやってきたし、自分は表に出ずに地をはってきたタイプだからね。楢崎(名古屋、40歳)とか、中沢(横浜M、38歳)とかがたたえられていると、普通に『すごいな』と思っちゃう。謙虚でしょ!?」

 地をはってきた−。J1、J2通算500試合に届こうとする自身の経歴を、土屋はそう表現した。「高校ではサッカーしないで、ブラジルに行って…。遊んでいた時期もあったし。そんなやつが40までやれてるなんて、申し訳ないっすよ」。中学2年までは東京都内の名門クラブ・三菱養和に所属したが、家庭の事情で武蔵野市に引っ越すと、「思春期だったので、いろいろと(笑)」とサッカーから離れた。

 田無工でも一度はサッカー部に入ったが、1週間で退部。部活所属は必須だったため、1年に1回しか活動しなくてよい書道部を選んだ。2年時には留年しそうになり、退学を検討。しかし今でも恩師と慕う担任の先生に救われ、パラパラと雑誌をめくっていたときに見つけた進路がブラジルへのサッカー留学だった。

◆ブラジルに留学

 滞在したサンパウロ州バウルー市が、現在の土屋の愛称になった「バウル」の由来だ。そこでの4年間、真剣にサッカーに取り組み、後半の2年は地元クラブとプロ契約。1997年、代理人に誘われてV川崎に練習参加したことで道が開けた。

 当時のV川崎は華やかなスター軍団。そのなかで「下手すぎて激怒」されながらも辛抱強く指導してくれたのが、当時コーチで、後にV川崎、神戸などで監督を歴任した川勝良一さんだった。「一番大きな出会い」と振り返った川勝さんとは、神戸と東京Vでも計9年間一緒に。その間の2001年には、日韓W杯を前にした日本代表候補合宿に招集されるまでに成長した。

 その後は大きな故障もなく、どのチームでも不動のレギュラーに。ただ、39歳だった14年4月に一度だけ、引退を真剣に検討した。練習中に左膝前十字靱帯(じんたい)を部分断裂。「ほぼ切れていて、グラグラだった」。手術を受けたのも、引退後に指導者となるならと、医者に勧められたからだった。

◆名波監督 声響く

甲府−名古屋 前半、名古屋・矢田(左)と競り合う土屋=14日、山梨中銀スタジアムで

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 手術後、気持ちをもう一度ピッチへと向けてくれたのは、チームを問わず土屋の周りに集まっていたサッカー仲間たちだった。そのなかの1人、07年東京V時代にチームメートだった磐田の名波浩監督が見舞いに訪れたのは5月のことだった。

 「ちょっと厳しいっすね」。復帰に後ろ向きだった土屋のそんな言葉に、名波監督は気色ばんだ。「バウル、何言ってんだ。やってみなきゃわからないし、おまえは絶対にできるから戻ってこい」。その手には、一枚の色紙を用意していた。

 『おまえは仲間の夢だ もう一度よみがえれ』

 その熱いメッセージを受け取り、土屋は覚悟を決める。「やってみてダメなら仕方ないけど、やる前からこんな気持ちじゃしょうがない。先のことは考えないでやろう」。そこから無心でリハビリに取り組み、負傷からちょうど1年後、15年4月のナビスコ杯新潟戦で、復帰を果たした。

 家族や恩師、そして仲間たちに支えられてきたサッカー人生。土屋にとって『J1現役最年長』の称号は、気付けばくっついてきたオマケのようなものだ。ただ、たくさんの出会いへの感謝を胸に、バウルはサッカーを楽しみ続ける。

◆家族の存在 土屋支える

 土屋にとって、家族の存在は大きなモチベーションだ。小学校の同級生で17年間連れ添った夫人との間には、16歳から4カ月まで子ども5人。16歳の長男は神奈川県内の強豪校でサッカー部に所属しているが、試合に出られないことに悩んでいるという。そんな息子に土屋は「技術はなくても、41歳までプロでやれてる人間が真横にいるんだぞ」と冗談めかして語りかける。「周りに助けてくれる人間はたくさんいる。困ったときは頼っていいんだ」と、土屋らしい真剣なアドバイスを送ったという。

 <最年長選手> 日本サッカーではご存じ、J2横浜FCの「キング・カズ」こと三浦知良。22日のリーグ戦・C大阪戦に先発し、自身の記録を49歳2カ月6日に更新した。世界では2003年、ジョン・ライアン(英国)の51歳11カ月とされる。ワールドカップに限ると2014年ブラジル大会予選リーグ・日本戦に43歳3日で出場したGKファリド・モンドラゴン(コロンビア)。プロ野球は昨年引退した山本昌の50歳2カ月。大リーグはサチェル・ペイジの59歳(生年不明で60歳説も)。元ロッテのフリオ・フランコは米独立リーグ時代、55歳で4番DHとして7試合に出場している。ボクシングの最高齢王者は、14年にWBA世界ライトヘビー級を制したバーナード・ホプキンスで45歳94日だった。公営競技の最年長勝利は、ボートレースが73歳4カ月の加藤峻二、オートレースは73歳10カ月の谷口武彦。

 <土屋征夫(つちや・ゆきお)> 1974(昭和49)年7月31日生まれ、東京都文京区出身の41歳。177センチ、74キロ。右利き。高校時代はサッカーをせず、卒業後にブラジルにサッカー留学してプロに。97年に練習生としてV川崎に加入してプロ契約を勝ち取り、神戸、柏、大宮、東京Vと渡り歩いて13年から甲府。J1通算316試合15得点(5月22日現在)、J2通算175試合13得点。01年に日本代表候補合宿参加。家族は妻と一男四女。

 ▽名古屋・楢崎「オレもそうだけど、自分がすごいとはバウルさんも思ってないと思う。長くやってる人はやってきたことがつながっていっただけで、きっと『運が良かった』『幸せだ』と思ってると思う」

 

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