トップ > 中日スポーツ > サッカー > 蹴球探訪 > 3月の記事一覧 > 記事

ここから本文

【蹴球探訪】

フロンターレと陸前高田市 築かれた新たな絆

2016年3月11日 紙面から

15年11月、陸前高田市でのサッカー教室で子どもたちとふれあう川崎のFW小林=陸前高田市内のグラウンドで(川崎フロンターレ提供)

写真

 東日本大震災発生から11日で5年。サッカー界でもさまざまな復興支援の取り組みが行われてきたなかで、特定の被災地と深くつながる活動を継続してきたクラブが、川崎フロンターレだ。今年7月3日には甚大な被害を受けた岩手県陸前高田市で「高田スマイルフェス2016」を開催。仙台を招いて、被災した沿岸部で初となるJ1クラブ同士の親善試合を行う。一方的な支援ではなく、双方向の関係をもとに、末永く被災地に寄り添おうとしている。 (宮崎厚志)

◆昨年9月異例の友好協定…7・3仙台との親善試合開催へ

 2月21日、2階建てのプレハブ棟が連なる陸前高田市役所の会議室は、戸外の寒風とは対照的に熱気があふれていた。「来場者に分散して来てもらうために、餅まきを早めにやりましょう」「川崎から来たツアーバスを、地元民を運ぶシャトルバスに転用してはどうか」。行われていたのは、陸前高田市職員と市民有志17人、そして8人の川崎側スタッフによる、第2回実行委員会。両者から次々とアイデアが生まれ、『スマイルフェス』に向けた会議は、3時間以上も続いた。

 昨年9月11日、市とクラブは「互いの存在が互いの励み、支えとなり、笑顔を創出する」ことを目的とし、友好協定『高田フロンターレ・スマイルシップ』を締結した。被災自治体とJクラブの協定は異例だが、4年半にわたる継続した支援が、ひとつの形となった。そしてこの協定の目玉イベントが、人口1万9000人の陸前高田市に3000人を集めるスマイルフェスだ。市商工観光課の小沢巧さんは「これまでやってきたイベントではどれも、こちらに負担をかけないようにしてくれていた。でも、川崎さんは一緒にやりましょうと言ってくれた。ともに作っている感じがする」と感慨をかみしめた。

◆始まりは小学校教諭のSOS…送られてきたクラブ作製「算数ドリル」

 始まりは、1人の小学校教諭のSOSだった。「ここまでの関係になるなんてびっくりだよ。本当にね」。そう笑ったのは、高田小で教諭を務める浜口智さん。津波で学校教材が流され、全国の教師仲間に提供を求めた。そこで川崎市の小学校からフロンターレを通じて送られてきたのがクラブ作製の「算数ドリル」だった。これをきっかけに、選手全員で陸前高田市を訪れてのサッカー教室や、子どもたちをホームゲームに招く『川崎修学旅行』が毎年開催された。

 陸前高田市側もフロンターレを応援する会『サポーターず』を立ち上げ、現在は約100人にまで増えた。浜口さんはその代表も務めるが、仕事柄子どもたちの変化には敏感だ。「それはいろいろとありますよ」と、心の爪痕を日々痛感する一方で、フロンターレという共通の話題で盛り上がる子どもたちの笑顔にも救われるという。「今、風化していくなか、フロンターレだけはつながりが膨らみ続けている」。その存在は、大きくなるばかりだ。

 被災3県での月間ボランティア数は、11年5月のピーク時に比べ2〜5%にまで減少しているという。しかし川崎は「支援はブームじゃない」を合言葉に、被災地とつながり続けてきた。運営担当の羽田剛さんには「まだやってんの!?」「どうせパフォーマンスだろ」という心無い声も届く。それでも陸前高田市に実際に足を運ぶたびに、復興途上の現実を再認識。「このイベントは毎年できるものではないけど、関係が終わることはない」と気持ちを引き締める。

 プロジェクトを引っ張る天野春果プロモーション部長は、会議を終えて言った。「高田のみんなが主体性を持って、自分たちで解決しようとしている。こういう過程が大事なんだ。震災直後にカズがゴールを決めてダンスを踊って感動した。それも大事だけど、復興は長くかかるもの。スポーツがどういう関わり方をすることが先につながるのか、フロンターレが動いて可能性を示せれば。まだまだあるよ、スポーツのポテンシャルは」

 天野部長が「7月3日はゴールじゃない」と言うように、川崎にとってスマイルフェスは5年間の到達点であり、新たな関係の出発点でもある。川崎のように協力して価値を生み出すまでに至らなくとも、ただつながり続けるだけでもいい。そうやって、被災地は未来への一歩を踏み出すことができる。

これまでの歩み

 ▼2011年3月11日 東日本大震災発生、陸前高田市は最大17・6メートルの津波に襲われ、1757人が犠牲に。

 ▼同4月 教材支援の要請を受け、川崎が「算数ドリル」を含む支援物資を直接輸送。

 ▼同9月 選手会が主催し、陸前高田市で被災後初のサッカー教室を開催。以後5年連続で開催。

 ▼同10月 陸前高田市の子ども約70人をホームゲームに招待する『川崎修学旅行』を初開催。以後5年連続で開催。

 ▼15年11月 陸前高田市の物産などを紹介・販売する『陸前高田ランド』をホームゲームで共催。

 ◆フロンターレ算数ドリル フロンターレの選手が出題役や解説役で登場する算数ドリル。川崎市立の小学校113校の6年生に配布される。08年に天野部長が視察した英プレミアリーグのアーセナルで選手が教科書に登場していたことがきっかけになり、市内の小学校の先生と共同制作して09年に第1版発行。教材だけでなく、選手が学校を訪れる実践学習も行う。

サッカー教室に集まった子どもたち(川崎フロンターレ提供)

写真

移動負荷なんの!!憲剛&大久保も歓迎

 スマイルフェス前日の7月2日に、川崎は仙台とJ1第2ステージ開幕戦(仙台・ユアテックスタジアム)を行う。試合メンバーは翌朝に陸前高田市へバスで約3時間をかけて移動し、夕方に約5時間かけて川崎へ帰る予定。通常リカバリーに努める試合翌日に負荷のある移動をすることになるが、主将のMF中村憲剛(35)は意に介さなかった。「何年か前は山形から行ってますし、移動は大丈夫です。それ以上のものがそこにはありますから」

 3年連続J1得点王のFW大久保嘉人(33)も「寝てたらすぐ着いたし、前に行ったときに『ここでいつか試合をしたい』と約束した」と心待ちにする。2人とも昨年は故障や体調不良で参加を見送っただけに、思いは人一倍強い。震災直後はサッカー界も多くの支援活動が活発化した。しかし昨年は各クラブとも単発の活動ばかりとなり、Jリーグと選手会が続けてきた仙台でのチャリティー試合も行われないなど、その継続が難しくなってきている。しかし中村の感覚は違っていた。

 「難しさは感じたことはないですね。それよりも忘れられていくことのほうが現地の人にとってはつらいこと。陸前高田で試合ができるというのは継続性のたまものだし、震災がなければつながらなかった縁ですから、すごく大事にしたい」。こういった選手たちの意識も、川崎の活動の推進力となっている。

 

この記事を印刷する

PR情報

閉じる
中日スポーツ 東京中日スポーツ 中日スポーツ 東京中日スポーツ 中日スポーツ購読案内 東京中日スポーツ購読案内 中日スポーツ購読案内 東京中日スポーツ購読案内 中日新聞フォトサービス 東京中日スポーツ