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【FC東京ぴーぷる】食堂「キッチン猿江」 保坂秋男・由美子さん【前編】 今では、別の世界に行ってしまったけれど…2006年12月11日
チームがまだアマチュアだった東京ガスサッカー部時代から、選手たちを食事の面で支えてきたのが、深川グラウンド近くの食堂「キッチン猿江」の保坂秋男、由美子さん夫婦だ。2002年に小平に移転するまで、キッチン猿江には多くの選手、スタッフ、サポーターが足を運び、保坂さん夫婦との交流を続けてきた。トップチームが小平に移転してからは、下部組織のU−15深川の子供たちに食事のサービスを行い、また違った側面からチームを支えている。店を切り盛りする保坂由美子さんに、思い出話や、子供たちへの思いを聞いた。(聞き手・高橋正和) 「選手のほぼ全員が食事に」T:高橋、H:保坂由美子さん T:FC東京との付き合いはいつから始まったんですか? H:もともとは東京ガスの野球部から始まったのよね。平成4、5年くらいだったかな。野球部が出て、サッカー部がこの近くの寮に入ってきたのよ。そのころは、まだプロ選手っていうのは、関さん(現札幌U−15コーチ)とアマラオ(現アルテ高崎)くらいだったのよね。豊洲の方のグラウンドで練習してたの。大熊さん(現日本代表コーチ)も社員で、近くの営業所にいたからよく来てくれたし、そんな関係でうちのおいっ子も自転車の前かごに入れられて、お風呂に行ったり、グラウンドに行ったり。みんなにかわいがってもらってねえ。 T:そのころは、選手も頻繁に食事に来ていたんですか? H:あのころは、ほとんど全員っていうくらい来てたね。(99年に)プロになっても、1年間くらいは半数以上が来てたのかな。とにかく今は本当に、別の世界よね。知っている選手も少なくなっちゃったし。あのころはフジくん(藤山)、浅利くんもずっと来てた。遠藤くんが骨折した時は、ギプスの上から履けるように、靴下を編んであげたこともあったけど。松田くん(現京都)とか星くん(現京都)も、この間の試合は見ていたけど、松田くんはしっかり男前になったねえ。ツゥット(00年に在籍)が1年いて、そして小平に移ったでしょ。向こうに引っ越してからは縁がなくなった。それまでは、とっかえひっかえ、いろんな人が来ていたけど。 T:選手たちとの思い出、印象に残る出来事はありますか? H:フジくんなんて、本当に18歳の時から知っているんだからねえ。今は30歳を超して、2人の子供のお父さんになっちゃったんだもんね。年を取るわけだよ。プロになる前は、フジくんが桜島の実家でイノシシを飼っているっていうんで、お肉を送ってもらって、みんなで鍋を食べたり、西が丘へ応援に行く前に、みんなでそうめんを食べたり。そういう雰囲気だったね。フジくんは本当によく頑張ってるよね、でも本当に昔から、顔も何も変わっていないわよね。性格的にはおとなしいよ。だから、こんなにおとなしい子たちが、ああやって闘志をむき出しにして走り回るなんて、よくできるなあと思って、1回聞いたことあるけど。『グラウンドに立って、ボールを見たら、変われる』っていうのよね。 「みんなを盛り上げてくれたアマラオ」
T:そのほか記憶に残る選手は? H:あとはアマラオとの思い出が一番強烈にいろいろあるねえ。外国人選手も随分いろいろいたけど、アマラオがみんなを連れてきてくれてね。カウンターの端っこは、いつもアマラオの席だったから、あそこの隅の席は誰かがいたら、どかせるって感じでね。昼間の練習前か後に、うちに一日一回は来ていてね。 T:お店でのアマラオはどんな感じでしたか? H:アマラオはしょうが焼きが大好きで、魚が大嫌い。ツゥットと呂比須は魚好きで、特にサケが大好き。アマラオは小さい時に、骨がのどにつっかえたから、魚は一切に食べなかったね。アマラオは自分の持った天性というか、何に対しても、前向きで落ち込まない。朗らかでね。常に誰とでもオープンだし、みんながしょんぼりしていると、盛り上げるようなところがあった。日本人にはああいうところをすごくまねしてほしいねえ。いつだったか、アマラオが悩んだ時もあってね。チームを辞める、辞めないって感じになった時。アマラオに『ここで上(Jリーグ)に行けるように、これまでいろんな選手を盛り上げて、いろんなアドバイスをする感じで来てくれたんだよね』って。『日本では東京ガスで出発したんだから、東京ガスがFC東京になって、そこで最後にアマラオには引退してほしい。それを日本語で骨を埋めるっていうことなんだけど、アマラオにもそうしてほしいんだけど』って言ったら、『うん、辞めない』って。その時は少しは通じてくれたのかなって思ったけどねえ。 T:選手からの相談にも乗っていたんですか? H:私はそういう深入りはしないから。向こうから言ってこなければね。あんまり私生活の中に入っては嫌だし、知られたくないこともあるだろうし、言いたくないこともあるだろうから。(負けが続いた時も)内心は落ち込んでいるんだろうけど、だけど、くよくよしたってしょうがないし、落ち込んで悩んでも勝てるもんじゃないでしょ。悩めば、悩むほど溝にはまっちゃうんだからさ。私らが『何で負けたの』とか『残念だったね』って言ったって、選手はもっと残念がっているんだしさ。一生懸命に戦った結果なんだから。そういう時は触れないし、サッカーの話は一切しないねえ。 T:サポーターも食事に来ていましたよね。 H:サポーターもよく来てた。あのころは、サポーターの女の子がポルトガル語で、メニューを全部書いてくれたの。『焼く』とかフライとか、小さいメニューを作って、ツゥットなんか、それを見ながら頼んだりしてね。アマラオに千羽鶴を折ってあげて、大熊さんにFC東京のマークの千羽鶴を折ってあげた子もいたしね。いまだに来てくれる子もいるけどね。インターネットを見たって、時々食べに来てくれる子もいるけどね。 「J1には行ってほしかったけれど」
T:今になってみると、いい思い出ですか? H:要するに、私は(プロ化前後の)この辺の時期が一番好きなのよ。サッカー自体はどういうものかは全然知らないし、西が丘にたまに見に行くけど、ルールも何も知らなくて、ただ知っている子たちが出ているのを見ているだけだから。Jリーグにいつか行ってほしいとは思っていた反面、行ってしまえば、結局、だんだん違う世界へと遠のいてしまうわけじゃない。そうしたら、すごく寂しいし、複雑よね。 T:J1昇格が決まった時も素直には喜べませんでしたか? H:どういうふうに言ったらいいんだろ。やっぱり遠くになっちゃうなあって。J1ということはプロなんだから、いつかは遠くに行っちゃう日は絶対来ると思っていたし。(チーム関係者から)芝生のグラウンドが2面は必要って話は聞いてたから、ここ(深川グラウンド)は1面じゃない。だから、いつかは離れていくなあって。村林さん(専務)にも『豊洲に土地があるんだから、豊洲でよかったんじゃないの』って言ったけれども、やっぱり大きな組織だから、私たちの意見が通じるモノではないしね。結局は向こうに、小平に決まった。成績は上に行ってほしいけど、出世すればするほど、遠くに離れて、今は知っている選手は多くはないからねえ。なかなか小平までは、練習を見にも行けないし。
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