トップ > 中日スポーツ > 芸能・社会 > 紙面から一覧 > 記事

ここから本文

【芸能・社会】

渋谷すばる、関ジャニ∞脱退 メンバー同席で発表 年末で退所

2018年4月16日 紙面から

記者会見で目を潤ませる関ジャニ∞の渋谷すばる=東京・赤坂のANAインターコンチネンタルホテル東京で(隈崎稔樹撮影)

写真

 人気グループ関ジャニ∞が15日、東京都内で会見し、リードボーカルの渋谷すばる(36)が脱退、12月31日をもってジャニーズ事務所を退所すると発表した。関ジャニ∞は7月15日から始まる5大ドームツアーから6人で活動する。渋谷は「海外で一から音楽を勉強したい」と理由を説明、「自分勝手な決断で申し訳ありません」と頭を下げた。SMAP解散後、嵐とともに事務所を支えた人気グループがデビュー15年の節目を前に大きな転機を迎えた。

 抜群の歌唱力と音楽への情熱でグループに貢献してきた渋谷が、脱退の決断を下した。

 会見で渋谷は「36歳を迎え、人生残り半分と考えた時、今までは事務所と関ジャニ∞に守られ、支えられ、時には甘えさせていただきましたが、この先は全て自分の責任で今後の人生を音楽で全うするべく、海外で音楽を学び、自分の音楽をさらに深く追求していきたいと思いました」と迷いのない表情で語った。

 渋谷が決意を事務所側に伝えたのは今年2月15日。既に5月30日発売予定のベストアルバム「GR8EST」(グレイテスト)と夏のドームツアーの準備が進んでおり、メンバーも事務所も慰留した。メンバー全員での話し合いが2月28日までに2回行われ、その他にも個別や番組収録の合間に説得が続いた。事務所側もジャニーズに残ったままでの音楽留学やソロ活動を提案したが、本人の決意は固く、最終的に4月10日に渋谷の脱退と退所が決定した。

 渋谷によると「海外で音楽を学びたい」と考え始めたのは35歳を過ぎたころで、意志が固まったのは今年1月。「これといったきっかけはない」が、2015年に初の主演映画「味園ユニバース」で海外の映画祭に参加して舞台あいさつで歌ったり、ソロデビュー、ソロツアーを経験。グループとしても音楽フェスに出たり、冠番組「関ジャム 完全燃SHOW」で一流ミュージシャンと共演したりと充実した音楽活動を重ねる中で、「音楽を一から学びたい」との思いが強くなった。関係者によると昨年2月には休みを利用して単身渡米し、海外で音楽に触れていたという。

 留学先、時期は未定だが「英語を習得したい」と話しており、英語圏への留学を希望。その後については「自分の音楽を形にしたい。発表する機会があれば、いずれしたい。音楽表現は続けていくので引退ではない」と断言した。

 ツアー発表後の報告になったことは「申し訳ない。それは言っても言い尽くせない」と謝罪し「これからの関ジャニ∞を見守っていただければ」と理解を求めた。

 7月からのツアーは関ジャニ∞15周年企画のキックオフという位置付けのため、メンバーで話し合った結果、6人で行うことになった。レギュラー番組は7月14日オンエア分までは出演。単独出演のラジオは終了予定。CMは年内まで契約が残っているため引き続きオンエアされる。サヨナラコンサートは予定されてないが、7月14日までの音楽特番などで7人で最後のパフォーマンスを披露する可能性はある。

   ◇

 ジャニーズのグループから脱退メンバーが会見するのは1996年5月のSMAP・森且行以来となる。安田章大(33)が自宅で転倒してけがをしたため急きょ欠席となったが、ほかのメンバーもそろって同席した例は過去にない。

目を真っ赤にして記者会見する横山裕

写真

 テレビカメラ32台、スチルカメラ55台。約200人の取材陣が固唾(かたず)をのんで見守る中、メンバーが神妙な面持ちで登場。あいさつに立つ渋谷をやわらかい表情で見守ったのは丸山隆平(34)だけで、横山裕(36)は目を真っ赤にし、視線は宙をさまよっていた。

 渋谷に続いて横山は、乱れる呼吸を整えながら「正直、今日という日が本当に来ないでほしいという思いでいっぱいでした」と、あふれる涙を必死でこらえ、声を震わせながら思いの丈を語った。

 努めて明るく振る舞う村上信五(36)は「ファンの方々が心を整理するまでに時間かかると思うし、すばるが自分の口で話すことが一番だと思う」とした上で「これだけ付き合い長いわけですから、口ベタな男が一人で立ってもーたら心配なところがありますから…」と同席した理由を明かした。

 一方で、大倉忠義(32)は会見への出席を「僕は最初イヤだった」とキッパリ。「でも、ファンの方々のためという思いと、やっぱり勝手な決断をしたすばるくんを嫌いになれなかったですね。だからどういう発言するか横で聞いていたいと思いました」と素直に心境を吐露した。

 メンバーの怒りや無念の思いを痛いほど感じながらも、新たな夢を追うことを決めた渋谷。最後まで絶対に視線を落とさなかった。

関ジャニ∞から渋谷すばる(右から3人目)が脱退、ジャニーズ事務所を退所することに。記者会見に臨む(左から)横山裕、丸山隆平、大倉忠義、(1人おいて)錦戸亮、村上信五=東京・赤坂のANAインターコンチネンタルホテル東京で(隈崎稔樹撮影)

写真

 ▼村上信五 話を聞いたとき、第一声は「何でや!? それはいやや」でした。でも話し合いを進めていくうちに、スタッフに迷惑をかけることを考えた上で、そこまで腹くくってんねやと目を見れば分かりました。僕は旧知の仲ですし、地元も近いし同世代。幼なじみとしては頑張ってこいと言うしかない。「エイター」(関ジャニ∞ファン)という言葉は、すばるから最初に出てきた言葉。その言葉を残してでも旅立っていくことを含めて、われわれはそれを受け継いだ上で向き合っていくべき。

 ▼錦戸亮 すばるくんにとったら「ホンマにこいつらしつこいな!」と思われるくらいみんな必死でどうにか止められへんかなとか思ったんですけど、冷静に考えたとき、背中押すしかないと思いましたし、僕らが一人の男の人生を止める権利はないなと。ジャニーズ事務所という大きな事務所を飛び出してやっていきたいというのはすごい決断だと思う。すばるくんには「これでよかったやろ」と思える未来を作ってほしいし、僕ら自身もすばるくんに「どや!」と言えるようなグループにしていきたい。

 ▼大倉忠義 こういう結果になってしまったのは非常に残念なんですが、メンバーは他人だけど家族のようであり、そういう大事な存在の一人が下した決断。「それは関ジャニ∞でかなえられない夢なのか?」とか疑問に思ったことは全部ぶつけました。一緒に7人で夢を追い掛けていきたかったけど、すばるくんがそういう夢を持ったなら応援すべきなのかなということを思いました。ファンの皆さんも悲しい、寂しいという思いはあると思いますけど、僕らと同じ気持ちで背中を押してあげてほしい。

 ▼丸山隆平 話を聞いたときは、すばるくんに面と向かって言えませんでした。夜中に面と向かって話せない分の文章を送りましたけど、読み返すのが恥ずかしいくらい好きさがあふれていたので、思い出したくないです。仲が悪くなったとかいろいろ想像する方がいると思いますが、これは関ジャニ∞みんなで向き合って、すばるくんとも向き合って出た結果であって、どうか前向きに、プラスの方に考えて進んでいきたいと思っているので、変わらず関ジャニ∞を応援していただければ。

 ▼横山裕 正直、すばるが抜けた関ジャニ∞は想像もつかなかったし、すばるが歌に命がけだと知っていたので「関ジャニ∞と一緒に夢を見ることはできひんのかな?」とかいろんな思いを伝えました。でも、僕が知ってるすばるはそんな中途半端な思いで生きてる奴じゃない。一人の男として決断したことだし下を向いてちゃいけないと思いました。これから厳しい道が待っていると思います。僕達もすばるに負けないように全力で突っ走っていきたい。(会見中泣いたか?)泣いてないです(と強がる)。

◆9日に転倒、背中強打し入院 安田は大事取り会見欠席

 会見を欠席した安田は、関係者によると今月9日に自宅で転倒、背中を強打し、同日から3日間入院した。現在は自宅で療養しているが、ツアーが控えていることから、大事を取って出席を見合わせたという。

 ▼安田章大(コメント) 本日このような大切な場であるにもかかわらず、欠席することになってしまったことをおわび申し上げます。2月中旬に初めて渋谷の話を聞いたとき、正直理解が追いつきませんでした。彼の選択を必死で止めました。しかし渋谷の意思は固く、すでに前を向いて歩み始めていることも理解しました。渋谷の性格を知っている以上、背中を押すべきなんだろうと。関ジャニ∞を離れても渋谷の音楽に聴きほれていければという思いを込めて、渋谷を送り出したいと思っています。

◆関ジャニ∞一番大切で大きい存在 一問一答

 −海外を拠点に音楽活動をすることについて

 渋谷「ちゃんと勉強したことがないので、まずは音楽の学校に通いたい。ここ何年かは特に音楽の活動をやらせていただいた中で、その経験があったからこそ自分だけの責任でどこまでやれるかに今後の人生を懸けてみたい」

 −バラエティー番組に出るのが嫌だったという一部報道もあるが

 「責任持って否定させていただきます」

 −関ジャニ∞とは

 「間違いなく一番大切で大きい存在。家族より長い時間を過ごしてきたからこそ、中途半端な覚悟では何一つできない。本当に心からの感謝と(脱退について)心からの申し訳ない気持ちです」

 −15歳からの21年間を振り返って

 「本当に良かったなと思っています。ジャニーズ事務所でいろんな経験をさせていただいて、関ジャニ∞というグループで活動させていただけたことは、一生の誇りだと思います」

 −関ジャニ∞として過ごした時間について

 「大阪から一緒に出てきたこともあり、すごく絆が深い仲間なので、楽しい時間がほとんどでした」

 −ジャニー喜多川社長へはどう伝えたのか

 「2日前に直接電話をしてお伝えさせていただきました。『そう決めた以上は応援するしかないので頑張りなさい』という言葉をいただきました」

 −目が潤んでいるように見えるが

 「(会見の)直前に目薬をさしまして…。申し訳ありません、ちょっと花粉症のほうが…。すみません」

◆関ジャニ∞の歩み

2004年 8月25日に「浪花いろは節」でテイチクの演歌レーベルからデビュー

2006年 不祥事で前年から謹慎中だった内博貴が脱退、現在の7人体制に

2007年 4月11日発売の「ズッコケ男道」からテイチクのポップス系レーベルに移籍。ジャニーズ初の47都道府県ツアーを実施

2009年 京セラドーム大阪でグループ単独では初のカウントダウンライブ開催

2011年 8月の日本テレビ系「24時間テレビ」のメインパーソナリティーに就任。11月から初の5大ドームツアーを開催

2012年 メンバー全員主演の初の映画「エイトレンジャー」公開。初の野外スタジアムライブ開催。大みそかのNHK紅白歌合戦に初出場

2014年 映画「エイトレンジャー2」公開。8月25日のデビュー10周年を機に、自主レーベル「インフィニティ・レコーズ」に移籍。日本テレビ系「24時間テレビ」メインパーソナリティー就任

2015年 11月、初の音楽フェス「テレビ朝日ドリームフェスティバル」に出演

2017年 5月、初の野外フェス「メトロポリタン・ロック・フェスティバル」に出演。この年からアルバム発売とドームツアーを冬から夏に変更、結果的に1年に2度の5大ドームツアーを敢行

2018年 4月15日、渋谷すばる脱退発表。7月15日から6人体制になり、6年連続で5大ドームツアーを開催

<渋谷すばる(しぶたに・−)> 1981(昭和56)年9月22日生まれ、大阪府出身。15歳でジャニーズ事務所に入り、関西ジャニーズJr.として活動を開始。Jr.時代は「東の滝沢、西の渋谷」と呼ばれる人気。2002年「関ジャニ∞」を結成、04年、シングル「浪花いろは節」でCDデビュー。グループではリードボーカルのほか、ギター、ブルースハープを担当。06年には「渋谷すばるwith大倉BAND」でも活動。14年、音楽フェス「テレビ朝日ドリームミュージック」にソロで出演。15年に主演映画「味園ユニバース」の主題歌「記憶/ココロオドレバ」でソロデビュー。ロッテルダム映画祭に参加し、舞台あいさつで異例のミニライブを開き、主題歌とビリー・ジョエルの「ピアノ・マン」を歌った。同年に初のソロツアー。16年の2度目のソロツアーでは最終公演でジャニーズで初めて東京・両国国技館でライブを行った。

◆記者の目 「やはり」と「まさか」

 渋谷が関ジャニ∞を辞めると聞き「やはり」と「まさか」という矛盾する思いが同時に湧いた。客観的に見れば渋谷はジャニーズアイドルらしくない男だ。独特な節回しとシャウトする歌い方はアイドルグループとしては異色。口下手、人見知りで「関西出身のひょうきんな男」というイメージもない。主演映画「味園ユニバース」のPRで情報番組に出た時は、黙りこくり「放送事故寸前」と批判もされた。

 音楽指向は強く、ロッテルダム映画祭に参加した時は駅前で見知らぬミュージシャンとセッションしたと楽しそうに話していた。自宅にはアナログレコードが1000枚近くあるとも聞いた。

 正直、なんでジャニーズにいるんだろうと思っていたが、初のカバーアルバム「歌」のインタビューで「関ジャニ∞を知ってもらうきっかけに自分がなりたい」「グループに何か持って帰れる活動をしたい」と真剣に語るのを聞いて「本当に関ジャニ∞が大事なんだな」と感じた。俳優や司会で目立つわけでもなく、「関ジャニ∞」というベースの中で自分を確立させているのが渋谷だと思っていただけに、「まさか」は拭えない。一番身近なメンバーも腑(ふ)に落ちていないようなので、記者の私が理解できないのは当然か。普段静かな人間ほど決めたら強いと言われている。悲しませたファンに、いつか報いてほしい。 (宮崎美紀子)

写真
 

この記事を印刷する

PR情報

閉じる
中日スポーツ 東京中日スポーツ 中日スポーツ 東京中日スポーツ 中日スポーツ購読案内 東京中日スポーツ購読案内 中日スポーツ購読案内 東京中日スポーツ購読案内 中日新聞フォトサービス 東京中日スポーツ