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【4紙独断 野球殿堂】

チームに選手に響いた 裏の名言

2017年12月12日 紙面から

 野球ファンの心に、いつまでも残る言葉がある。「わが巨人軍は永久に不滅です」(長嶋茂雄)、「ベンチがアホやから…」(江本孟紀)、「負けに不思議の負けなし」(野村克也)など表の名言があれば裏の名言も…。スポーツ4紙の選考委員会が独断で「野球殿堂」入りを決める最終回は、語り継がれる言葉とそこに秘められたドラマにスポットを当てる。 (文中敬称略)

チームの段差をなくした 根本陸夫の言葉 「ラーメン屋のせがれと思え」

低迷、不祥事に揺れる

ダイエーホークスの監督に就任した王貞治(左から2人目)。左は根本睦夫、右から2人目は中内●オーナー(当時)=1994年10月 ※●は工へんに刀

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 誰のことを言っているかを考えれば、根本陸夫にしか言えない言葉だろう。

 「ラーメン屋のせがれだぞ」。この言葉は内部で発せられたものだが、瞬く間に広まった。1998年オフから99年にかけてのダイエー(現ソフトバンク)は激震に見舞われていた。サイン盗み、いわゆるスパイ疑惑で球界を騒がせ、パ・リーグ特別調査委員会によって球団社長、代表に対する戒告および職務停止処分が99年1月18日に下された。

 これを受けて当時球団専務だった根本が、社長に昇格する。開幕直前に選手、スタッフを集めての訓示の中で、この言葉が出た。「ラーメン屋のせがれ」とはもちろん、王貞治監督(現ソフトバンク球団会長)のことだ。

 “世界の王”が巨人と決別し、ダイエー監督就任のため福岡の地に立ったのが94年オフだった。11月のファンイベントは福岡ドーム(現ヤフオクドーム)が満員となった。しかし、初年度(95年)は5位、96年は最下位、97年は4位とBクラスに低迷。ようやく98年に初のAクラス入りを果たした直後に発覚したのがスパイ疑惑だった。前年の97年オフには選手の脱税問題にも揺れ、王監督とは無関係に、ダイエーは『オフの主役』の汚名を着せられることとなる。

泥を洗い落とすには

 根本はダイエーの監督、管理部長などを兼務している最中(93、94年)に、王招聘(しょうへい)に動いた人物だ。幅広い人脈と常識にとらわれない発想力で、自身と関わりのない球団同士のトレードまで成立させてしまう“球界の寝業師”。王は巨人復帰の道が開けるのを待つより、パ・リーグの次期盟主と見られたダイエーを率いてこそ、球界全体が発展すると考えた。

 王という野球人の足跡と招聘の経緯を考えれば、不祥事の泥をかぶらせるわけにはいかない。同時に、その泥を洗い落とすには、もう勝つしかないのも事実だった。

 根本はこの4年間の低迷を見て、『王貞治』の名前こそが躍進の妨げとなっていると感じていた。不祥事の荒波の中、球団社長として新たなシーズンを迎えようとしていた。王自身がよく「僕はラーメン屋のせがれだから」と口にしていたとはいえ、他人が言えば重みも違う。根本はあえてバンカラな表現を使ったのだ。世界の王と思うな。「ラーメン屋のせがれ」だと思え。ナイン、スタッフを隔てていた“段差”は一発で解消された。

 ところがこの訓示から1カ月もたたない4月30日、根本は心筋梗塞により急逝する。神格化されていた王は、縦横に采配を振るい、選手はのびのびと活躍し、この年、日本一にまで駆け上がった。その姿を根本は見ることができなかったのだが、チームを変えたのはまさしくこのときの『根本の遺言』だった。

 王監督就任の95年から今年までダイエー、ソフトバンクのリーグ優勝8度。巨人は同期間に9度。こんな時代が来ることを、根本は見通していたに違いない。 (西下純)=おわり

火の玉ストレートを生んだ 清原和博の言葉 「ケツの穴小さいな。チ×ポコついとんのか」

7回、2死満塁、8点差 球児のフォークに牙

通算500号に王手をかけていた打席で藤川のフォークに空振り三振した清原は、悔しそうにバットを投げつけた

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 「ケツの穴小さいな。チ×ポコついとんのか」。2005年4月21日、巨人・清原和博が阪神戦(東京ドーム)の試合後、吐き捨てるように言った。2−10の7回2死満塁、フルカウントからフォークで空振り三振を食らった藤川球児を指していた。

 日程的に、王手をかけていた通算500号の本拠地達成が遠のいた。大量得点差なのに真っすぐじゃなかったことに立腹したようだが、球児にしてみれば言い掛かりのようなもの。それでも、これが「火の玉ストレート」を生んだ。「あの一件があったから真っすぐを磨くという方向性が見えた」。球児は後にこう話している。

 この後、6月25日に再戦。最後の球を含む7球中6球ストレートの前に空振り三振した清原は、「20年間見てきた中で最高のストレート」と、同じ結果でも今度はうれしそうに語った。

お立ち台に革命 パンチ佐藤の言葉 「下痢するまで飲みたい」

軟らかいトーク解禁

 優等生発言が主流だったお立ち台のヒーローインタビューに、90年代に革命を起こした男がいる。ドラフト指名直後、上田利治監督からの電話に「自分の心は一つです!」とやったのがオリックス・パンチ佐藤。入団2年目のお立ち台で「下痢するまで飲みたいです」と喜びを表し、スタンドを笑わせた。以降、他の選手からも軟らかいトークが聞けるようになった功績は大きい。

【選考委員のつぶやき】 オレ? で始まり オレ? で終わる 

 言葉の持つ力。いまだに語り継がれるものは、我々を瞬時に、その場面へといざなってくれる。

 逆に言えば、そういうパワーを持っていた人だからこそ、ひと言が重い。選考委員会では珍言部門で福本豊の「オレ?」も候補に挙がった。ドラフトで指名されたことを知らず、他人に知らされて発したひと言。さらに驚くことに引退時にも同じ言葉を残している。

 1988年。山田久志の引退試合で上田利治監督が「去る山田、残る福本」と言うつもりが「去る山田、そして福本」と言い間違えてしまった。で「オレ?」。他意はなかったのだが、それを受け入れた福本の人間性と、実績があってこそおもしろみが伝わる。

 一方で誰もが認める名選手ではない「ビミョーな選手」の引退セレモニーでのコメントは、やはり後世まで語り継がれるということはないんだろうなあ…。

 最後に、選考委員が今回のメイン記事となった根本からよく言われた言葉を添えて連載を終えたい。

 「新聞なんて99%、ウソですわ」

 

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