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【4紙独断 野球殿堂】

剛球 分かっていても打てないストレート

2017年8月25日 紙面から

 うなりを上げる剛速球は、野球の大きな魅力の一つだ。スポーツ4紙の選考委員会が独断で野球殿堂入りを決める第8回は、そこにスポットを当てた。ただスピードガン表示に頼るのではなく「強打者が分かっていても打てないストレート」を定義に阪急・山口高志、西武・渡辺智男らを取り上げた。 (文中敬称略)

ノムさんも認めた剛速球 山口高志

1975年の日本シリーズでMVPを獲得した山口高志=西宮スタジアムで

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 意外な言葉が口をついた。「自分では、速いと思ってなかったんですよ」。1970年代の球界で、剛速球といえば山口だったが、謙遜でもなさそうだ。

 「思っていたら、もっと早くプロに行ってるよ」。現在は母校・関大のアドバイザリースタッフとして後輩たちを指導する山口は、若かりしころに思いをはせる。

 72年には関大のエースとして大学選手権、明治神宮大会いずれもフル回転で日本一を手にする。しかしヤクルトのドラフト4位指名を拒否し、松下電器(現パナソニック)に入社した。75年のプロ入り後も「スライダーとか、フォークとか、一生懸命練習した」と、変化球に力を入れていた。それでもプロの壁に突き当たる。鳴り物入りのドラフト1位も「開幕から苦しんでね」と言う。そこへ手を差し伸べたのが先輩の福本豊だった。

 「福本さんから『土井(正博、太平洋)さんが、山口の真っすぐは打ちづらいって言うてたで』と言われて。だったら直球で押してみようかなと」と、半信半疑でやってみると、強打者たちのバットが面白いように空を切った。

 公称169センチの身長で、真っ向から投げ下ろす。辛口の野村克也も「一番速かったのは山口」と断言するボールは、うなりを上げていた。しかし、それは自身の選手生命を削りながらでもあった。「あの投げ方で、あのボールを投げるしかなかったから」。山口の選手生命は短かった。

 先発3年、ストッパーとして1年、そして残り4年は故障との戦いに終始した。全盛期と重なる1年目に、日本中に山口の名を響かせるチャンスが訪れた。75年の広島との日本シリーズだ。阪急は4勝2分けで初の日本一となり、山口は5試合に登板、1勝2セーブ、防御率2.19の好成績でMVPに輝いた。

 第4戦で代打出場し、左前打を放った広島・水谷実雄は「セ・リーグにいないタイプやった。違う速さを高志は持っていたなあ。後の大魔神(横浜・佐々木)のフォークみたいに、来ると分かっていて打てん球やった」と思い出す。

 山口は言う。「村田兆治さんは速い上に、フォークとの緩急があった。江夏豊さんは横から見て、18.44メートル(マウンド〜ホームプレート間)がものすごく短く見えた。僕とは違うよ」。また、先述の日本シリーズも「僕がリリーフでマウンドに行く時間、西宮球場は照明灯の影ができて、バッターが見づらかったんじゃないかな」とも。

 ゆったりしたフォームからの速球に、打者は戸惑う。そのストレートには、人さし指と中指の間をほとんど空けない特徴的な握りから強烈なスピンがかけられる。阪神コーチ時代の愛弟子・藤川球児も、ほぼ同じ握りから「火の球」を繰り出す。「史上最速」との証言が多い速球の真実は、こんなところに潜んでいるのかもしれない。 (西下純)

 ▼山口高志(やまぐち・たかし) 1950(昭和25)年5月15日生まれ、神戸市出身の67歳。右投げ、右打ち。市神港高から関大、松下電器を経て、75年にドラフト1位で阪急入団。新人王、最優秀救援など獲得。82年現役引退後は阪急・オリックス、阪神で投手コーチを務めた。通算195試合50勝43敗44セーブ、防御率3.18。

清原、米のスター軍団もきりきり舞い 渡辺智男

1990年の日本シリーズ第3戦で完封勝利を挙げた西武・渡辺智(左)

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 1985年春。センバツに出場した無名の伊野商が、KK擁するPL学園を準決勝で破った。エースの渡辺(現西武スカウト)は、グワンと浮き上がるようなストレートで清原和博を3三振ときりきり舞いさせた。

 5年後。渡辺は清原のチームメートとなり、巨人との日本シリーズのマウンドに立つ。第3戦。相手先発は桑田真澄だ。

 シリーズ開幕前、ブルペンで調整する渡辺を、ネット越しに見つめる清原の姿があった。すさまじいボールに「やっぱりこれは打てんよ」とつぶやいた。渡辺は第3戦でシリーズ初登板で完封の離れ業をやってのけた。

 本人は「もっと速い人がいたと思うけど。僕は27球で終わらせたいタイプだったから」と笑う。

 絶頂期はプロ入り直前。五輪代表に選ばれた88年、直前のIBAFワールドカップ(イタリア)で米国戦に先発した時だ。20人中、半分以上がドラフト1巡目に指名されるスター軍団を相手に、渡辺は5回まで1人の走者も許さなかった。この時の捕手だった古田敦也は「受けた中で一番速かった」と証言している。

 しかし6回、渡辺は先頭打者に投げたときに「ヒジが飛んだ」。ソウル五輪での米国戦先発は野茂英雄に譲った。プロでは実働8年。あの一球が、あまりに惜しい。 (西下純)

 ▼渡辺智男(わたなべ・とみお) 1967(昭和42)年6月23日生まれ、高知県出身の50歳。右投げ、左打ち。伊野商3年のセンバツで優勝。NTT四国を経て、89年にドラフト1位で西武入団。91年に最優秀防御率獲得。94年ダイエー移籍後、98年に西武へ復帰し、同年現役引退。通算123試合45勝40敗2セーブ、防御率3.73。

スピードガンの申し子 小松辰雄

2年目に154キロを記録した小松

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 伝説に事欠かないのが「スピードガンの申し子」と呼ばれた小松辰雄(中日)だ。石川・星稜高では「受ける捕手がいなかった」。野球部引退後はほとんど投球練習することなくプロ1年目のキャンプに臨んだが「スピードだけならオレにかなう人はいないと思った」と述懐する。

 2年目には早くも活躍。テレビ中継で154キロを計測した。これを見た関係者が「小松の速球を売り物に」と国内では初となるスピード表示をナゴヤ球場で実施した。

【注】所属は球速全盛時

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【選考委員のつぶやき】

 野球の華は本塁打と剛速球だ。現役なら大谷も速い、ダルビッシュもすごい。今回の選考委員会は一昔前の投手を中心に、大いに盛り上がりつつも「どこに基準を置くか」に悩んだ。結論はスピードガンで何キロよりも「速くて打てない直球」に落ち着いた。

 山口高志、渡辺智男、小松辰雄を取り上げたが、もちろん違う名前も数多く出た。150キロは速い。しかし、いくら150キロ超を投げても勝てない投手も少なくない。それが分かっているから、カットボールとか、ややこしい変化球を多用する。当然、選考委員の食指は動かない。

 強打者に真っ向勝負を挑み、その剛速球がフルスイングのバットの上を通過する。捕手のミットが派手な音を上げ、アンパイアが「ストライクアウト」を絶叫する。こうでなきゃ、な。

(次回は9月12日掲載)

 

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