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【4紙独断 野球殿堂】

驚弾

2017年5月9日 紙面から

 1990年に近鉄のラルフ・ブライアントが東京ドームの天井スピーカーにぶち当てた認定本塁打に、野球ファンは仰天した。2001年、近鉄の北川博敏が放った代打逆転サヨナラ満塁優勝決定本塁打は、今もなお語り草になっている。スポーツ4紙の選考委員会が独断で野球殿堂入りを決める第5回のテーマは「驚弾」だ。 (文中敬称略)

1.ブライアント スピーカー直撃弾

地上から42.5メートル、推定170メートル 東京D初の認定弾

東京ドームの天井スピーカーを直撃する打球を放つブライアント=1990年6月6日

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 こんなことが起こるとは誰も思っていなかった。1990年6月6日、東京ドームの日本ハム−近鉄戦。ブライアントの打球は設計上は当たるはずのない物に当たった。

 0−3の4回無死。1ボール2ストライクからの4球目、日本ハム先発の角盈男が投じた真ん中のスライダーを完璧に捉えると、打球は中堅方向へグングン伸びていった。そして天井からつり下げられていたスピーカーを直撃。落ちてきた打球は右中間のグラウンドに転がった。判定は本塁打。当時の東京ドーム特別ルール第3条「打球が外野のフェア地域にある懸垂物に当たるか挟まった場合は本塁打とする」が適用され、88年の開場から3年目にして初の認定本塁打となった。

 日本で8年プレーし、通算773試合で259本塁打、1186三振。本塁打か三振かという豪快さが売りだったブライアントの大アーチの中でも、ひときわ強烈なインパクトが残っている一発。翌日の紙面も「推定170メートル弾」と報じた、球史に残る驚弾だ。

<上>打球は点線のように天井のスピーカー(右上)を直撃した<下>認定本塁打となり、ナインに迎えられる近鉄・ブライアント=1990年6月6日、東京ドームで

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角は試合前に引退宣言!?

 打たれた角に振り返ってもらった。「スライダーを外のボールゾーンに投げて空振り三振を取る想定だったのに、すっぽ抜けて真ん中に入ってしまった」。直後に見た光景もよく覚えている。「投げた瞬間に『あぁホームラン』と思った。ピッチャーって分かるもんなんですよ。でも一応、確認で後ろを見たら、バックしていたセンターが慌てて前へ走ってくる。『エー』と思っていたらボールがグラウンドに落ちてきた。一瞬、何が起こったのか分からなかった」という。

 それにしても中堅より後方で、地上から最下部まで42.5メートルあったスピーカー(縦幅は2.5メートル)に当たるとは想定外だった。当時も外野席後方の巨大広告に当たれば100万円の賞金がついていたが、スピーカーには賞金設定はなし。ブライアントは「スピーカーに当たっても何か出ていいんじゃないの」とコメントしたが、そもそもここに当てるのは不可能と思われていたのだ。

 角ももちろん、予想すらしていなかった。「これにはもうひとつ、ストーリーがあるんですよ」。苦笑いしつつ明かした、当日の試合前練習中のひとこまが、それを物語っている。

 大島康徳、島田誠、柴田保光らベテラン陣と一緒に、センター後方でストレッチをしていたときのこと。「広告に当てると賞金が出る話になって『いいよなぁ、バッターは。打たれたピッチャーは何もないよなぁ』なんて話してたんだけど、そのとき、たまたまスピーカーが目に入ってきて、言っちゃったんですよ。『これに当たるわけないでしょ。これに当てられたら俺、辞めちゃう。引退する』と…」。驚弾を浴びたのは、まさにその数時間後だった。

 「翌日にロッカーへ行くと、『あれっ、角、引退するんじゃなかったっけ』と言われるし、口は災いのもというか」。今となっては笑い話。この一撃がきっかけとなり、スピーカー直撃には300万円の賞金(15年から150万円)がついたが、誰も当てることなく球場リニューアルに伴って15年オフに撤去。認定本塁打の特別ルールも16年からなくなった。 (井上洋一)

 ▼ラルフ・ブライアント 1961年5月20日生まれ、米ジョージア州出身の55歳。右投げ左打ち、外野手。81年にドジャースに入団。88年の5月に中日入団。当時2人だった1軍外国人枠に阻まれ2軍暮らしだったが、デービスが大麻取締法違反で逮捕され退団した近鉄から譲渡の打診があり、同年6月末に金銭トレードで移籍した。その後は近鉄の主砲として活躍。本塁打王3度、打点王1度、MVP1度。95年限りで近鉄を退団。米マイナーでプレーした96年に引退した。

2.北川博敏 代打逆転満塁V決定弾

唯一無二 奇跡の一撃

代打逆転サヨナラ満塁本塁打を放った北川を出迎える近鉄ナイン=2001年9月26日、大阪ドームで

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 日本プロ野球史上「代打逆転サヨナラ満塁本塁打」は8本あるが「優勝決定」の肩書つきは唯一無二。球史に輝く奇跡の一弾が飛び出したのは2001年9月26日。打ったのは北川だった。

 2−5の9回無死満塁。古久保健二の代打として起用された。「僕はゲッツーが多かったので、実は頼むから満塁になるなって思っていたんです」。阪神からトレード移籍したこのシーズンは、大卒7年目にして初本塁打を記録。2日前にも松坂大輔(西武)から本塁打を放っていた。

 投手は守護神の大久保勝信。見逃し、ファウルであっという間に追い込まれた。スイッチが切り替わったのはスライダーを見極めた3球目。「打ちにいって、バットが止まった。あの一瞬で不安が消えたんです。足の指が土をかむ感触というか、もう打てるとしか思わなかったです」。4球目のスライダーを左中間へ運んだ。

 北川にとってこの一発はその後のモチベーションともなった。「これだけで終わりたくない。その思いで必死にやれました」。一発屋では終わらず通算102発。現在はヤクルト2軍打撃コーチとして、若い選手と汗にまみれている。 (渋谷真)

 ▼北川博敏(きたがわ・ひろとし) 1972(昭和47)年5月27日生まれ、兵庫県出身の44歳。右投げ右打ち。埼玉・大宮東高から日大を経て95年にドラフト2位で阪神入団。2001年に近鉄へ移籍。球団合併に伴い05年からはオリックスでプレーし、12年に引退した。通算1264試合、打率2割7分6厘、102本塁打、536打点。

3.柳田悠岐 ビジョン破壊弾

「真芯じゃなかった」

三浦から「ビジョン破壊弾」を放った柳田=2015年6月3日、横浜スタジアムで

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 現役の驚弾といえばソフトバンク柳田悠岐が、2015年6月3日のDeNA戦で放った横浜スタジアムの「ビジョン破壊弾」だ。三浦のスライダーをフルスイングした打球は、ビジョン上部を直撃。その衝撃で発光ダイオード(LED)パネルが外れた。それでも「真芯じゃなかった」と笑う一発の推定飛距離は150メートルだった。

4.清原和博 シリーズ場外弾

【選考委員のつぶやき】

 選考委員としてつぶやかずにいられないのが西武・清原和博の場外弾。88年10月22日、中日との日本シリーズ第1戦(ナゴヤ球場)の2回に左翼へ放った。

 翌日の紙面で新幹線ガード下の塀に直撃したとの証言とともに146メートル弾と報じたこの一撃を、生で見た。三塁側内野席の最上段付近で観戦。高々と上がった打球がまるで目の前を通過していく感覚で、場外へスッと消えていく瞬間も目撃した。

 そして数年後、ナゴヤ球場のグラウンド脇で選手らと「誰がどこまで飛ばした」などと雑談していた。すると後ろから「俺は清原にあそこ越されたぜ」との声。振り向くと、打たれた中日・小野和幸が左翼席上段を見つめていた。そんなダブルの思い出からこの一発が忘れられません!

<左>中日−西武の日本シリーズ第1戦、2回表、清原が左翼場外へ本塁打。投手・小野=1988年10月22日、ナゴヤ球場で<右>清原の146メートル弾「ここに当たった」と新幹線ガード下塀をさす、ボールを拾った人が証言

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(次回は6月20日掲載)

 

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