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【4紙独断 野球殿堂】

悲劇 ありえない…あと1球…いつかは勝てると…

2017年4月18日 紙面から

 真剣勝負であるからこそ、人は敗者にもドラマを見たがる。スポーツ4紙の選考委員会が独断で野球殿堂入りを決める第4回のテーマは「悲劇」。1998(平成10)年にロッテが喫した18連敗中の「七夕の悲劇」など、敗れ去った者の悲劇性にスポットを当てた。 (文中敬称略)

1998年ロッテ黒木知宏 七夕の…

日本記録18連敗の17敗目

1998年7月7日のオリックス戦 9回裏、2死一塁からプリアムに同点2ランを浴び、鈴木コーチ(中央)になぐさめられる黒木。このときに右腕はけいれんしていた=GS神戸で

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 天の川が見えるほど、神戸は晴れ渡っていた。1998年、七夕の夜だった。しかし「連敗脱出」の願いが届くどころか、夜空を切り裂く白球が、ロッテ・黒木知宏を失意のどん底にたたき落としたのだ。

 6月13日。ロッテはオリックスに敗れ、ここから連敗が始まった。5連敗、10連敗…。チームはざわつき始める。近藤昭仁監督も、球団もファンも必死で負の連鎖を断ち切ろうとするが、すべての方策は裏目に出た。

 「あのころ、抑え不足で黒木を後ろに回したんですが、ことごとく失敗して…」と振り返るのは当時デイリースポーツのロッテ番だった斉藤章平だ。黒木のみならず、コーチ陣の配置換えも行ったが、勝利には結びつかなかった。

 7月4日のダイエー(現ソフトバンク)戦、試合前には千葉マリン(現ZOZOマリン)で行った“おはらい”も通じず、パ・リーグワーストタイの15連敗を喫した。翌5日も敗れたが、試合後2時間、熱心なロッテファンが応援歌を歌い続け、チームを励ますという感動的な出来事もあった。それでも…。

8回まで2安打1失点

 七夕の夜。先発に戻った黒木は「任せてください」と、GS神戸(現ほっと神戸)でのオリックス戦のマウンドに向かった。小宮山に続くエース候補として、この年は最多勝にも輝く右腕だ。自信もあった。その言葉通り8回を投げ終え、2安打1失点。すごみすら感じさせる投球内容で、オリックス打線をねじ伏せた。

 打線も福浦、フランコ、キャリオンのクリーンアップがそれぞれ打点を挙げて、3−1と2点のリードで9回裏を迎えた。2死1塁で打席には5番・プリアムを1ボール2ストライクと追い込んでいたのに…。

9回同点被弾でけいれん

 翌8日のデイリースポーツはこう報じている。

 『139球目、146キロのストレートをプリアムに同点本塁打された。直後にショックと極度の疲労から右の肩とヒジにけいれんを起こし、帰りのバスにはトレーナーに担ぎ込まれるほどだった』

 考えたくもない悲劇に見舞われた黒木はここで力尽き、チームも延長12回、広永の代打サヨナラ満塁弾で日本記録を塗り替えた。

 黒木は「失投が敗戦に直結すれば、それまでいくらいい投球をしても、いいものじゃなくなる。1球の重み」と振り返った。続けて「同点でマウンドを降りたのは、試合放棄。自分の甘さでした」と19年前の1球をなおも自省した。

 8日も敗れ、9日にエース小宮山の6失点完投勝利により、ようやく「18」で終止符が打たれた。“あと1球”からの悲劇は、壮絶だったからこそ今もファンの心に残り、黒木がパ・リーグを代表する投手として一時代を築く礎ともなった。 (水足丈夫、斉藤章平、西下純)

 ▼黒木知宏(くろき・ともひろ) 1973(昭和48)年12月13日生まれ、宮崎県出身の43歳。右投げ右打ち。延岡学園高から新王子製紙春日井を経て、ドラフト2位で95年にロッテ入団。98年に最高勝率、最多勝を獲得した。2007年現役引退。通算199試合76勝68敗1セーブ、防御率3・43。13年から日本ハム1軍投手コーチ。

2006年ソフトバンク 斉藤和巳ポストシーズンの…

PO第2S第2戦 06年4冠男 PSは0勝6敗

2006年のプレーオフ第2ステージ第2戦で9回にサヨナラ打を浴び、ズレータ(右)、カブレラ(左)に抱えられながらベンチに下がる斉藤

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 球界最高の右腕が、抜け殻のようにマウンドに崩れ落ちた。2006年のパ・リーグプレーオフ第2ステージ第2戦。ソフトバンクの斉藤和巳は9回裏の1失点で散った。悲劇的なサヨナラ負け。札幌ドームで日本一への道を断たれた。

 「あの試合で覚えてくれた人も多かったけど、現役時代はとにかく雪辱したいと思っていた」。10年には現役の監督、選手らの投票による「最高の試合」の第3位に選出。2人の外国人選手の肩を借り、マウンドを去るシーンは印象的だった。

 通算79勝23敗。8割近い勝率を誇った「負けないエース」はポストシーズンで0勝6敗。06年は西武の松坂大輔(現ソフトバンク)と第1ステージ初戦で投げ合い、1失点完投負け。右肩に3度メスを入れた斉藤は「どちらも0−1。肩があと1、2年もったら、勝てるかなと思える内容だった」と振り返る。

 06年はパ・リーグの投手4冠。同年オフに米メジャー移籍した松坂を全部門で2位に従えての快挙だった。7月に胃がんの手術でチームを離れた王貞治監督(現球団会長)への思いも背負い、最高の輝きを放ったシーズンだっただけに、運命の残酷さがより際立った。 (相島聡司、久保安秀)

 ▼斉藤和巳(さいとう・かずみ) 1977(昭和52)年11月30日生まれ、京都市出身の39歳。右投げ右打ち。南京都高からドラフト1位で96年にダイエー入団。2003、06年に投手部門のタイトルを総なめにした。右肩痛のため07年を最後に登板から遠ざかってからも懸命のリハビリに励んだが、13年に引退を表明。通算150試合、79勝23敗、防御率3・33。

連敗、敗戦以外でも… 門田は本塁打後…前田は走塁中…

 悲劇は連敗や敗戦だけではない。1989年9月25日、3回に31号本塁打を放ったオリックス・門田博光は、何とブーマーとのハイタッチで右肩を脱臼した。

 また、95年5月23日には広島・前田智徳が走塁中にアキレス腱(けん)を断裂。「音がした」とうめき、このシーズンを棒に振ったが、以後さらに20年近く、故障と戦いながら2119安打を重ねた姿が、孤高の天才の価値をより高めることにもなった。

【選考委員のつぶやき】西武 西口文也

2度目の9回2死からの…3度目は史上初の大記録が…

2005年8月27日の楽天戦で完全試合は逃すも16勝目を挙げ、伊東監督(左)に祝福される西口

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 テレビの人気番組でも取り上げられたのが、西武の西口文也が演じた3度の「悲劇」だ。9回2死から2度もノーヒットノーランを逃し、さらに完全試合も…。「3度目」は本人より野手陣の落胆がすごかったそうだ。

 2002年8月26日のロッテ戦は安打、05年5月13日の巨人戦は本塁打で快挙を逃した。極めつけは同年8月27日の楽天戦だ。9回終了まで1人の出塁も許さなかった。先頭打者に安打を許した延長10回も後続は断ち、直後にサヨナラ勝ち。あと1イニングで史上初の延長戦での完全試合だった。いや、打線の援護さえあれば…。

 愚痴の一つも言いたくもなるが、試合後の西口は「前回(の巨人戦)は1本で1点取られた。今回は完封できたから」と淡々としたもの。この3試合のスコアは6−0、6−1、1−0。通算182勝の中で、特に記憶に残る3勝だった。

(次回は5月9日掲載)

 

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