どちらかというと、手取りで小器用な面を見せていた日馬富士が、人間が変わったような相撲の変化を見せ、沢山の相撲ファンの関心を引きつけている。大化けをする力士は、どこかで信じ難い変化を見せてくれるものだが、どうやら元安馬日馬富士が、その域に達したことには、疑う余地もないようだ。
その化ける度合いと、それに要する時間という問題は残っている。しかし、今場所も日馬富士の場所になる点には、かなり確度の高い予測を持ち得ると思う。いうまでもなく、いろいろな形で伝えられた日馬富士の充実した今場所への稽古ぶりが、際立っていて、そのことが、ファンの持つ期待を高める要素を果たしている。
一気に横綱昇進につながって行く見通しを持つことは、少々安易に過ぎるだろう。だが、日馬富士の進む道が、その大道につながることも疑う余地のないものと思える。
いうまでもなく、横綱への夢を果たした力士たちは、その道筋に二つの軌跡を残す。天才的な道程を描いて見せる力士と、苦悶と努力の極限を示しつつ、夢を果たした力士との二様である。
現在までのところ、日馬富士を待ち受けている道筋がどちらであるかは予想も立たない。だが、名古屋の初日を見た段階では、あえて、ファンの期待に沿い得る能力の片鱗を示したと見てもよさそうだ。
ひとつの場所の見方として、こんなこともいえるのではなかろうか。両横綱、五大関の中で、取りこぼした魁皇を除いて、五人が本来の相撲を見せて、初日の白星を挙げた。つまり、実力通りの結果を出したのだ。その五人の中に加わっていた日馬富士にも、その勝利に意外感はなかった。つまり、勝って当然といえる勝ち方をして見せた。
実は、これは大事なことだと思う。勝って当然といえる形で勝ち星を積み重ねる。これが十勝、あるいは二けたのものに達した時に、夢の遠さが現実に近づいて来るのだ。とに角、日馬富士は名古屋場所の初日で、その貴重な白星のひとつを番付に積んで見せた。 (作家)
この記事を印刷する