トップ > 中日スポーツ > スポーツ > 特選!レジェンド校 > 記事

ここから本文

【特選!レジェンド校】

奇跡の原点 「心」の集大成 PL学園

2018年9月4日 紙面から

1978年夏の甲子園で初優勝し胴上げされるPL学園・鶴岡(現姓山本)泰監督

写真

 1978年夏に甲子園初優勝。そこからの10年間で春夏計7度の全国優勝を積み重ねたPL学園(大阪)は、どのようにして短期間で高校球界の王座に登り詰めていったのか。現在は休部となってしまい、今夏の第100回選手権大会にも参加できなかったかつての名門校の原点を、黄金時代の監督だった山本(旧姓鶴岡)泰(73)と中村順司(72)の話を中心に振り返った。 (文中敬称略)

山本泰が奔走した中学選手集め

2戦連続での劇勝

 確かに、1978年夏の第60回大会でPL学園は神がかっていた。準決勝の中京(現中京大中京、愛知)戦は0−4の9回に4点を挙げ、延長12回に押し出し四球でサヨナラ勝ち。決勝の高知商戦も0−2の9回に3点を奪い、初優勝を決めた。「奇跡のPL」という異名がついた夏、黄金時代は幕を開けた。

1978年夏の高知商との決勝で9回裏PL学園は2死二塁から柳川の左中間安打で二走の西田(右)がバンザイで生還。(中)は次打者の荒木

写真

 「結局、ラッキーボーイに回るんですよ。あの夏も、何かの時には西田が絡んだ」。当時の監督だった山本泰は、こう40年前を振り返る。

 西田とは当時の「4番・投手」で、プロの広島でも勝負強い打撃で定評のあった西田真二(当時は真次、現四国IL香川監督)のことだ。準決勝の9回は西田の三塁打が突破口。決勝の9回は西田が起死回生の同点二塁打を放ち、次打者のサヨナラ打へ導いた。

 入学直後の76年夏、甲子園の決勝で桜美林(西東京)に敗れた先輩の姿をスタンドから見届けたことが西田の原点だ。「あの試合を見て甲子園に行きたい、優勝したいと思うようになった」。悔しさからスタートした彼らが入学したころに強豪の下地ができ始めた。

戦国の「私学7強」

 70年代の大阪は「私学7強」と呼ばれた戦国時代。当時は大半が中学の野球部出身者だった。少年野球関係の仕事をしていた父の鶴岡一人に相談すると、「強くするためには少年野球の選手を引っ張らないとダメだ」との返答。シニアリーグなどの選手の勧誘にも力を入れるようになったのはこの頃からだ。

 情報収集も怠らなかった。山本はスポーツ紙の中学野球記録コーナーに載っていた大阪・浜寺中の「1番・捕手」に着目。同中学OBという学校関係者に視察を頼んだ。

 「捕手の1番は珍しいな、と思って見ていると3の2とか4の3とかよく打つ。OBには『面白そうな選手ならPLに来ないか、と声をかけてくれ』と伝えた」。初優勝した時の主将で、西田とバッテリーを組んだ木戸克彦(現阪神球団本部部長=プロスカウト)が入部に至った経緯だ。

深紅の大優勝旗を持つ木戸主将を先頭にグラウンドを一周する

写真

全国から入部希望

 甲子園で優勝すると全国区になり、各地から入部希望者が現れた。「PLは全国に教会があるので、地方の教会長が野球好きだと『どこそこにいい選手がいる』という話も来る。こっちが選択できるようになった」と山本。野球部の研志寮は定員が50人強と決まっているため、自然と精鋭がそろうようになった。

 練習では山本やコーチの中村順司らが基礎をたたき込んだ。特に力を入れたのは守備。西田は「守備のフォーメーションを徹底し、けん制のサインもたくさんあった。監督やコーチからは『細かいことができないと甲子園では1点差の試合に勝てない』と言われた」と述懐する。

写真

 80年夏の大会後に退任した山本は、翌年に大産大高の監督に就任した。同校の分校が大阪桐蔭の起点。ここでも、後の強豪になるチームの礎を築いている。 (堤誠人)

 ▼山本泰(やまもと・やすし) 1945(昭和20)年7月7日生まれ、山口県出身の73歳。旧姓鶴岡。神奈川・法政二高、法大、日本楽器(現ヤマハ)などを経て72年にPL学園高のコーチに就任。74年4月から監督となり、80年夏に退任するまで甲子園に夏3度、春2度出場。78年夏には同校を初の甲子園制覇に導いた。81年から89年までは大阪・大産大高の監督。その後は法大監督や近鉄、マリナーズのスカウトなどを歴任。現在は上武大スカウトと横浜市の青葉緑東シニアのコーチを兼務する。父は故鶴岡一人・元南海監督。

休部の現状嘆く

西田真二

PL学園の初代優勝投手だった西田も、古巣が休部した現状を嘆いている。「何より、校歌を聴くことができないのが寂しい。また『永遠(とわ)の学園〜』を聴きたい」。現在、40歳代半ば以上の多くは「燃〜ゆ〜る希望〜に〜」で始まるPL学園の校歌を暗唱できるだろう。今夏の第100回大会では母校の星稜が開幕戦に勝ち、記者席で校歌を歌った松井秀喜さん(元巨人、ヤンキースなど)の姿が話題となった。いつの日か、西田や清原、桑田らが甲子園で母校の校歌を歌う姿が見られるか。

中村順司が重視した対話

春夏計6度優勝

写真

 今夏の第100回大会で春夏連覇を達成した大阪桐蔭の西谷浩一監督に抜かれるまで、監督として甲子園で春夏計6度優勝の最多記録を誇っていた中村順司が重視したのは心技体の「心」だ。

 中村の在任時は選手の投票で主将を決めていた。1987年に春夏連覇を達成した時の主将だった立浪和義(元中日)が前年夏に圧倒的な得票で選ばれた時、中村は立浪が2年になった直後の86年春を思い出していた。

 「練習で外野からの返球を立浪がワンバウンドで受けた時、投げた選手を下からにらみつけたことがあった。一対一で話して『遊撃手はああいう場面が見せ場なんだぞ』と諭すと、次の日から同じことが起きても『悪い、悪い』と言うようになった。どちらかといえば一匹おおかみでチームのことを考えるタイプではなかったが、そういう態度に変わったことを同級生らが評価するようになったんじゃないか」

「球道即人道」

 野球部のモットーは「球道即人道(きゅうどうそくじんどう)」。勝敗よりも、練習や試合を通じて困難をどう乗り越えていくかを学ぶことが重要だという教えだ。コーチや監督に就任した時、中村は「野球は人間社会の縮図だ、ということを伝えることが僕の仕事」と決意した。

 PL学園のOBは、プロでもチームのことを考えながらプレーする選手が多い。「チームのためにどうすれば良いかを考えることが良いプレーにつながる。清原(和博、元西武など)も右打ちができたから評価されるんですよ」

2年生が救った

1987年夏に甲子園春夏連覇を達成し、場内一周時に応援席の前で高々と優勝旗をかかげるPL学園・立浪和義主将

写真

 87年夏の第69回大会決勝で、PL学園は初出場の常総学院(茨城)と優勝を争った。3点リードで迎えた8回の守備。2死二塁から1番打者に三遊間を抜く安打を打たれた。流れが常総学院に傾きかけたところで、チームを救ったのは三塁手の宮本慎也(現ヤクルトヘッドコーチ)だった。

 左翼手からの送球をカットすると、本塁には目もくれず一塁へ送球。二塁をうかがおうとオーバーランしていた打者走者を刺した。中村は「宮本の野球センスの良さ。あれが相手への流れを止めた」と今でも当時のことを鮮明に覚えている。正三塁手の故障で急きょ先発出場した2年生が、難なく好判断を見せるあたりがPL学園らしさだ。

【プラスワン】指導者になるプロOB増えているのは明るい材料

 輝かしい歴史を持つPL学園の野球部は復活するのか。現在も少年野球と大学野球にかかわる山本は悲観的だ。

 「スポーツを強くしようという意欲が教団にないと、復活しても大阪で3回戦に行けばいい、というレベルになる。まして、桑田真澄(元巨人など)や清原和博も知らない今の5歳や10歳の子がPLに行きたいと思うかどうか…」

 現在の大阪は、大阪桐蔭と履正社の2強が他校を大きく引き離している。かつての名門校とはいえ、野球部のないPL学園が再び強豪校に加わるための条件は厳しい。

 ただ、プロで指導者になるOBが増えていることは明るい材料だ。30人以上をプロに送り出した中村は、プロアマの垣根がさらに低くなることに期待を寄せる。

 「例えば、桑田が『3年くらいご奉公するか?』と打診され、『やりましょう』と言うようになる時が来るかもしれない。プロのOBがレベルアップにつながればいい」

 再建に向けた動きが具体化すれば、プロの監督など有名OBの影響力は無視できなくなる。名門復活へのカギは、教団の熱意とOBの動向にありそうだ。

 ▼中村順司(なかむら・じゅんじ) 1946(昭和21)年8月5日生まれ、福岡県中間市出身の72歳。PL学園高、名古屋商大、キャタピラー三菱を経て76年秋にPL学園高のコーチに就任。80年秋から監督となる。甲子園に夏6度、春10度出場し、全国優勝は夏春3度ずつで優勝回数6度は歴代2位。勝利数は夏27勝(歴代5位タイ)、春31勝(同1位)の計58勝(同2位)。98年のセンバツ大会を最後に勇退。翌99年に名古屋商大監督に就き、現在は総監督。

 ▼PL学園 1955年、大阪府富田林市に開校。野球部は翌56年3月に創部され、甲子園初出場は62年春。優勝は78年夏を手始めに夏4度(歴代5位)、春3度(同3位タイ)の計7度(同3位タイ)。81、82年は戦後初のセンバツ大会連覇を遂げ、87年には史上4校目の春夏連覇を達成した。甲子園出場は夏17度、春20度で勝利数は夏48勝(同4位タイ)、春48勝(同3位タイ)の計96勝(同3位)。野球部寮での部内暴力などが原因で2016年夏の大阪大会出場を最後に休部となっている。

(次回は9月26日掲載)

 

この記事を印刷する

PR情報

閉じる
中日スポーツ 東京中日スポーツ 中日スポーツ 東京中日スポーツ 中日スポーツ購読案内 東京中日スポーツ購読案内 中日スポーツ購読案内 東京中日スポーツ購読案内 中日新聞フォトサービス 東京中日スポーツ