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【KOSHIEN新世紀】

「怪物」たちの真実(2) 雨と奇策に散った江川卓

2015年6月23日 紙面から

1973年センバツ&夏の甲子園

 春は新チーム結成以来、110イニング無失点で現れた。夏は県大会5試合で、わずか被安打2で帰ってきた。それが1973(昭和48)年の江川卓(作新学院)だった。しかし、甲子園が生んだ「怪物」は、春夏ともに優勝旗を地元に持ち帰ることはできなかった。春は広島商、夏は銚子商。倒した側の視点で、怪物に迫る。キーワードは「雨」と「奇策」だった−。 (文中敬称略)

第45回センバツ大会で大会史上最多となる60奪三振の快投をみせた作新学院の江川=1973年4月撮影

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【春】広商の「江川練習」

 インターネットなどなくとも、怪物のウワサは栃木県から広島県まで伝わった。第45回センバツへの出場を決めていた広島商。秋の時点で打倒江川の奇策を練り始めた。

 「見ぬすごさとでも言うんでしょうか。映像すらなかったんですが、僕らにとって監督が言うことは絶対です。『江川練習』と呼んどりました」

 捕手の達川光男(現中日コーチ)が言う「江川練習」とは…。迫田穆成(よしあき)監督(現如水館)が授けた策は、無死または1死二、三塁で実行される。打者がスクイズをわざと空振りする。三塁走者ははさまれる。「ゆっくりとホームへ走り、5メートル手前で内側にスライディング」(迫田)。タッチされる瞬間に、早めにスタートしていた二塁走者が追い抜き、ホームを踏む…。

 「毎日やりましたよ。公式戦でもやりました。当時の子は、喜んで練習しました。空振りならできますから」

 迫田は言う。広商といえば、小技。この夏も決勝戦にサヨナラスリーバントスクイズを決めて、深紅の大旗をつかむ。それなのにスクイズを空振りする練習を繰り返した。「高校生は秋と春。そして春と夏では違うものなんです」。春の時点では、江川の球はバントもできないというのが迫田の読みだった。

 迎えたセンバツ。江川は北陽(大阪)と1回戦で対戦した。優勝候補チームの打者が、ヒットどころか初めてバットに当たったのが23球目。満員の観衆がそれだけでどよめいた。達川はスタンドで見学していた。

 「試合どころか、ブルペンでの第1球で『ウォーッ!』よ。とてつもない怪物じゃった。バケツのような尻をしとったけえね」

 その怪物との対戦は準決勝。5回にポテンヒットで追いつき、新チーム結成以来続いていた江川の連続無失点を、139イニングで止めた。そして8回。四球と内野安打でつくった2死一、二塁から重盗。これが捕手の悪送球を呼び、勝ち越した。いかにも広商らしいわずか2安打での勝利だった。

楽天の春季キャンプを訪れた江川卓=今年2月6日、久米島野球場で(沢田将人撮影)

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自らが語った「真相」

 この試合には、実に30年以上経ってからの後日談がある。江川と達川。ともにプロへ進み、とうに現役を退いたある日の東京ドーム。江川は「敗因」を語り始めた。

 「オレは絶好調だったんだ。前の日に雨さえ降っていなければ、絶対に負けていなかった。20三振は取っていたはずだ」

 今治西との準々決勝は1安打、20奪三振。ところが翌日は雨天順延となった。江川を待っていたのはすさまじい取材攻勢。投球練習では、カメラマンが足元に寝転がって、レンズを向けてきた。たまらず奥に逃げ、ソファーに寝転んだ。つかの間のリラックス。ついウトウト…。目が覚めると、首筋の筋肉が固まっていた。寝違えたのだ。

 北陽戦ではあれだけすごいと思った江川の球が、いざ打席に立ってみれば「思ったより大したことなかった」と達川が感じた理由もここにある。実は春も怪物は雨に泣かされていた。直後なら言い訳になる。五十路(いそじ)を迎えるころに真相を口にしたのは、江川がようやく『17歳の敗北』を受け入れたからかもしれない。

【夏】マウンドに仲間呼ぶ

 栃木県大会は、3試合がノーヒットノーラン。失点どころか5試合でたった2本しか安打を許さず、江川は甲子園に帰ってきた。夏の第55回大会。だが、怪物は再び雨に散った。

 「真っすぐを力いっぱい投げたい。それでいいか?」。2回戦の銚子商戦。延長12回、1死満塁のフルカウントという場面で、江川はマウンドに仲間を呼び、問い掛けた。怪物・江川を語る上で、あまりにも有名なクライマックスだ。全員が賛成してくれた1球は高めに大きく外れ、押し出しの1点が入った。

 投げた側の思いは語り継がれてきたが、攻める側の銚子商・斎藤一之監督(故人)も、一世一代の策を命じていた。ストライクスクイズ。決まればもちろん、ボール球でもゲームセットだが、空振りや小飛球なら併殺。追い詰めた怪物を取り逃がすことになる。試合開始時には快晴だったのに、延長に入ってから降り始めた雨は強まり、大会本部は「12回で引き分け」と発表していた。ただ、当事者は誰1人として知らずに戦っていた。

第55回選手権大会2回戦・作新学院−銚子商 延長12回裏1死満塁で、銚子商の打者・長谷川に押し出しの四球を与えた作新学院の江川=1973年8月16日撮影

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この回で再試合だった

 「フルカウントまでは『打て』。あの1球で初めてスクイズのサインが出たんです。直前の球もそうでしたが、ストレートが高めに抜けていた。それだけは手を出しちゃダメだと…。僕はバントでレギュラーになった選手だったんです。9回2死からバントのサインが出たくらいですから」

 長谷川泰之は、歴史に残る1球の真相をこう証言した。打力なら同じ二塁手で2学年下の篠塚利夫(元巨人)が上だったが、県大会前に骨折。バントには絶対の自信があった。だが勝負の女神は、スクイズではなく押し出しを怪物の幕引きに選んだ。

 奇しくも江川と同じ169球を投げたのが銚子商の2年生エース・土屋正勝だ。被安打4、12奪三振は、江川(11安打、9三振)を内容でも凌駕している。

 「僕の高校3年間で、あの試合か3年の中京商(岐阜、3回戦)かというくらい、調子がよかった」。翌夏に全国制覇し、ドラフト1位で指名される逸材だ。江川の速球を不安定にさせた雨も「僕は気にならなかった」と言う。しかも、銚子商ナインは怪物の異変を感じ取っていた。1週間前の1回戦。柳川商戦で延長15回を投げる江川を、次の試合のために待機していた銚子商は見た。

強烈すぎた秋の印象

 「正直『え、こんなボール?』って思いました。何せ秋のイメージが強烈でしたから。実際、夏は僕でもバットに当たりましたからね」

 土屋が言う「秋」とは前年の関東大会。江川に1安打、20奪三振で完敗している。以後、春の関東大会、練習試合と全敗。唯一の得点は、負けていた終盤にスクイズで取った。少しでもコンプレックスを取り除くために、斎藤があえて命じたのだろう。

 だが、この経験が甲子園で生きた。柳川商から15イニングで23三振を奪った江川でも、銚子商ナインには「不調」に見えたのだ。江川が甲子園で戦った6試合で、三振が1桁だった唯一の試合。それでもなお奇策を仕掛けねば倒せないのが、怪物と呼ばれるゆえんだった。 (渋谷真)

【へぇ〜】金属バット導入 江川の翌年に起こった最大の「革命」

 100年目を迎える甲子園の歴史で、最大の「革命」は江川翌年に起こった。1974(昭和49)年夏の第56回大会から金属バットが導入された。大神正男(三国)が、開幕日に上尾戦で放ったのが大会第1号だった。

 では「木製最後の本塁打」は? 前年夏の最後は、達川光男(広島商)だ。「おお、そうよ。ワシが最後と言われとるんよ」。準々決勝の高知商戦で、鹿取義隆(のち巨人)から打った。翌74年の第46回センバツは豊田誠佑(日大三、のち中日)のランニング本塁打1本。「最後のフェンスオーバーは達川」と言ってあげたいが…。

 「僕は寒い時期の練習しか、金属を使っていませんでした。プロに行きたかったからです」。こう証言したのが篠塚利夫だ。銚子商の4番として、第56回で全国制覇。金属ではなく木製バットで2本塁打を打っている。

 実は大会本塁打数は達川が打った第55回が10本で、篠塚の第56回が11本。篠塚のような選手はほかにもいたし、当時の新聞を調べても「野球が変わる」とか「篠塚は木製で打った」などという視点の記述は皆無だ。

 その後の品質の向上で、結果として高校野球に革命が起こった。原辰徳(東海大相模)、清原和博(PL学園)、松井秀喜(星稜)…。江川以前は投手に占められていた甲子園のヒーローに、打者も登場したのは金属バット抜きには語れない。

 ▼江川卓(えがわ・すぐる) 1955(昭和30)年5月25日生まれ、栃木県出身の60歳。右投げ右打ち。作新学院から法大。73年に阪急、77年にクラウンからそれぞれドラフト1位で指名されるが拒否。米国野球留学を経て、いわゆる「空白の1日」で巨人と契約した。巨人がボイコットした翌日のドラフトでは、阪神が1位指名。金子コミッショナーの強い要望により、交換トレードで巨人に入団した。87年に引退するまで、MVP1回、最多勝2回、最優秀防御率1回。プロ通算266試合、135勝72敗3セーブ、防御率3.02。

 ◆お知らせ KOSHIEN新世紀では、高校野球ファンの皆さまにアンケートを行っています。項目は(1)過去最強チームはどこか(2)歴史に残る名勝負は?(3)好きな高校球児の3点です。結果を集計、分析して秋をめどに記事化する予定です。はがきに〒住所、氏名、年齢、職業、電話番号とアンケートのそれぞれの答えを明記し、〒460 8511 中日スポーツ「KOSHIEN新世紀アンケート」係まで。メール(nsupo@chunichi.co.jp)でも受け付けます。ご協力よろしくお願いします。

(次回は7月14日掲載)

 

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