トップ > 中日スポーツ > 格闘技 > 紙面から一覧 > 記事

ここから本文

【格闘技】

WBA世界スーパーバンタム級新王者に久保 ホームレス生活も経験

2017年4月10日 紙面から

山下会長に肩車されガッツポーズする久保隼=エディオンアリーナ大阪で(西岡正撮影)

写真

 WBAスーパーバンタム級8位の久保隼(27)=真正=が9日、エディオンアリーナ大阪(大阪市)で、同級王者のネオマール・セルメニョ(37)=ベネズエラ=を11回5秒TKOで下し、世界初挑戦で王座を奪取した。日本ジム所属の男子選手として10人目の世界王者となった。7回にプロ初ダウンを喫したが、11回開始時に戦意喪失したセルメニョが棄権した。東洋大時代にドロップアウトし、公園でのホームレス生活も経験した苦労人。真正ジムとしては、昨年に現役を引退した元世界3階級王者・長谷川穂積さん以来の世界王者。久保が名実ともに後継者となった。

 何が起こったのか、誰もが理解できなかった。11回開始直後、王者は立ち上がることなく、突如グローブを外し始めた。レフェリーが両手を交差する。久保が新王者として、名実ともに“長谷川穂積の後継者”となった。

 「終わって良かった」。久保は安堵(あんど)の第一声を吐き出した。左ボディー中心に組み立てたが、7回に左右のフックを浴びてプロ初のダウン。「ダウンもイメージしておけ」という長谷川さんの言葉を思い出し、カウント8まで休んで窮地を脱した。10回までの採点では1−2とリードを許した。前歯も折られたが我慢比べに勝利。「長谷川さんのおかげ」と頭を下げた。

 父憲次郎さん(51)と母知美さん(51)に、誰よりも感謝を伝えたかった。「育ててくれてありがとう」。南京都(現京都広学館)高ボクシング部の送別会以来、人生2度目の両親への「ありがとう」だった。勝たないと伝えられない。その思いが久保を支えた。

 アマボクサーだった父の手ほどきを受け、中学2年からボクシングを始めた。2005年2月14日。父の“ボクシング・ノート”はその日から息子の東洋大卒業まで続いた。人知れずネットにブログをつづり、息子のボクシングを伝え続けもした。

 大学3年の冬、久保はボクシングに嫌気がさし、京都の実家に戻った。父が認めるはずもなく、親子げんかの末に家を飛び出し、真冬の公園で約1週間のホームレス生活を送り、母方の祖母ミエ子さん(75)の自宅にも転がり込んだ。それでも自分にはボクシングしかないと体を動かしていた時、真正ジムの山下会長が手を差し伸べてくれた。

 「一度ドロップアウトした人間がチャンピオンになれるほど甘くはない。それを覆すだけの努力をしたということ。息子ながら尊敬する」。父は頼もしそうに息子を見つめた。

 これまで打ち合うことを恐れていたが「打ち合える自分に成長した。長谷川さんの言うことが理解できた」。次戦は指名試合が濃厚だが、IBF同級王者・小国以載との対戦を熱望。“長谷川の後継者”と呼ばれることを「恐れ多い」と謙遜するが、その領域へ確かな一歩を踏み出した。 (山本直弘)

◆37歳セルメニョ「体力の限界」

 セルメニョは控室でぐったりと椅子に座り込み、棄権理由を説明した。「体力の限界。拳にもパワーが残っていなかった。私の決断でもあり、陣営の決断でもある」。10回までのスコアは2−1とリードしていただけに、諦めなければ防衛できた可能性もあった。今回は15キロの減量に苦しみ、今後については「引退するつもりはないが、この階級では考えていない。でも久保がチャンスをくれるのなら、もう一度やるかも」と話した。

<久保隼(くぼ・しゅん)> 1990(平成2年)年4月8日生まれ、京都市出身の27歳。身長176センチ。元アマチュアボクサーの父憲次郎さんの影響で中学2年からボクシングを始める。南京都(現京都広学館)高3年でインターハイ準優勝。東洋大を経て2013年5月にプロデビュー。15年12月に東洋太平洋スーパーバンタム級王座を獲得し、2度防衛。戦績は12戦12勝(9KO)。左ボクサーファイター。

 

この記事を印刷する

PR情報

閉じる
中日スポーツ 東京中日スポーツ 中日スポーツ 東京中日スポーツ 中日スポーツ購読案内 東京中日スポーツ購読案内 中日スポーツ購読案内 東京中日スポーツ購読案内 中日新聞フォトサービス 東京中日スポーツ