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スポーツ魂 バスケで開花 八村 富山に夢の原点

クレイトン大戦でシュートを放つゴンザガ大の八村塁選手(左)=オマハで(USATODAY・ロイター・共同)

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恩師「輝き続けてほしい」

 富山市出身の若者が、日本バスケットの歴史を塗り替えようとしている。全米大学体育協会(NCAA)一部、ゴンザガ大の八村塁選手(20)=同市奥田中学校卒。日本人初となるドラフトでの北米プロリーグNBA入りが期待される逸材は、富山で競技に出合い、飛躍した。原点に残る足跡とは−。(山本真士)

 十一月に強豪の大学がハワイに集い、開かれた大会の決勝。全米三位のゴンザガ大は、一位のデューク大に89−87で競り勝ち、優勝を果たした。「違いをつくった」「番狂わせへ導いた」。エースの八村選手は現地メディアから勝利の立役者として称賛された。

 身長二〇三センチで、当たり負けしない屈強さと俊敏性を併せ持つ。二〇一九年ワールドカップアジア一次予選で四連敗中だった日本代表に招集された六〜七月は、強豪オーストラリアなどとの二試合を連勝に導いて二次予選進出に貢献。予選で敗退すれば東京五輪出場が遠のく窮地から、チームを救い出した。

 親族によると、八村選手は西アフリカ・ベナン出身の父親と日本人の母親の間に生まれた。四人きょうだいの長男で、幼いころから活発だった。小学三、四年のころに三十キロの米袋を持ち上げ、家族を驚かした。少年野球チームでは捕手を務め、陸上短距離の全国大会にも出た。

 バスケを本格的に始めたのは奥田中一年から。バスケ部の同級生に誘われたことがきっかけだった。二学年上には、後に日本代表としてともにプレーすることになる馬場雄大選手(23)=アルバルク東京=がいた。

 初心者の八村選手は、上級生はおろか同級生にも全く歯が立たなかった。当時からバスケ部コーチを務める坂本穣治さん(58)は「塁は何もできないのが悔しくて、休憩時間や練習後に仲間に教えてもらっていた」と懐かしむ。

 競技をいくつも変えてきたことを知った坂本さんは「いつかバスケに飽きるのでは」と心配した。そこで本場・米国の試合を伝える雑誌や映像を見せ、繰り返し語り掛けた。「頑張れば、将来NBAに行けるぞ」

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 夢物語だったが、恵まれた体格には可能性を感じていた。二年秋の新チーム発足時の身長は一八〇センチ余。全国的には飛び抜けて高くはなかったが、両腕を広げた長さは身長一九〇センチの選手並みだった。肩や股の関節の柔らかさも、バスケのプレーでは有利だった。

 コートの状況を把握する力も優れていた。試合ではノールック(受け手を見ない)パスを出し、観客を驚かした。ボールを持つ前に周りを見て、敵味方の位置を瞬時にとらえ予測できるからこそのプレーだった。

 情熱も強かった。ほぼ毎日、放課後や夜に練習に取り組み、チームの中心へと成長。三年夏には全国中学校大会で準優勝した。いつしか、本人が公言するようになった。「将来の夢はNBA選手です」

 進学した全国屈指の強豪、明成高校(仙台市)では一年から主力に定着し、全国高校選抜優勝大会を三連覇。U−17(十七歳以下)の世界選手権で得点王に輝き、ゴンザガ大へ進んだ。NBA挑戦に注目が集まった今春は、さらなる成長を目指し、大学でのプレー継続を選んだ。

 大学最高峰のNCAAトーナメント、世界最高峰のNBA、母国で五十六年ぶりに開かれる夏季五輪…。これ以上ない舞台が控えている。「注目されて大変だと思うが、輝き続けてほしい。そしていつか、本場での経験を日本に持ち帰ってくれたら」。坂本さんは、世界を驚かす活躍と日本バスケへの貢献に期待する。

 

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