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「幻の日本語雑誌」中国で発見 堀田善衛さん「時間」の原点

上海で1945年8月に創刊された雑誌「新大陸」の表紙=秦剛さん提供

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 1945年8月1日に中国・上海で創刊号が刊行され、終戦により1号限りで幕を下ろした幻の日本語雑誌「新大陸」が、北京の中国国家図書館で見つかったことが分かった。当時、上海に暮らした富山県高岡市出身の作家堀田善衛(ほったよしえ)さん(18〜98年)の全集未収録の随筆も掲載されている。インフレと物資不足で混乱する終戦間際の上海で、なお戦意高揚を掲げた誌面と、戦後を見据えた堀田さんの冷静な筆致が対照的だ。

戦意高揚「冷ややか」

 北京外国語大の秦剛(しんごう)教授(日本近代文学)が今年初め日本の国立国会図書館にも所蔵がない「新大陸」の存在を確認した。秦さんによると、当時上海で刊行されていた日本語誌四誌を統合し、陸海軍報道部や日本大使館の指示で創刊された。

 編集後記は「上海は大東亜戦争を勝利に導びく前線」だと記し、雑誌を「日華文化創造の挺身(ていしん)隊」と自称。一方「原稿も内地其(その)他は交通通信の関係で依存できず、当分現地重点」にせざるをえないとあり、情勢の緊迫ぶりもうかがえる。

 堀田さんの随筆「上海・南京」は、雑誌が「大東亜地域の中核」とあおる上海について、非人間的で「愛情」が街角に欠如していると冷ややかに眺める。四五年五月に旅した南京では、城壁の上から眺めた紫金山の美しさを「人間の歴史を既に終つた後の風景」と評し、杜甫の漢詩「国破れて山河あり」を吟味する。代表作「時間」(五五年)の冒頭で描くことになる、原点とも言える光景だ。

 戦争末期に発行された日本語の資料は戦後、大陸から持ち出された例は少ない。堀田さんも「新大陸」を一冊入手したいと日記に記したが、かなわなかったようだ。雑誌には、当時上海在住だった作家の武田泰淳(一二〜七六年)が中国の作家を論じた論考も掲載された。

 秦さんは「創刊自体が時代錯誤なタイミングで、なお時局的なイデオロギーに縛られた論調が多い中、堀田はすでに戦後的な思考を始めていた。今読んでも古びない」と指摘した。

 今回の発見に関する秦さんの論考や堀田さんの随筆は、八月六日発売の文芸誌「すばる」九月号に掲載された。

居留日本人向け宣伝媒体

 太平洋戦争中の中国大陸には、北京で発行された「月刊毎日」や上海で発行された「大陸」など、いくつもの日本語雑誌が存在していた。戦時生活の心構えを説く記事や、現地の大使館や陸海軍の将校による戦況解説など、大陸各地に居留する日本人に向けた、国策メディアの色彩が強い。

 内地からの寄稿も掲載して銃後の生活を紹介。主に軍の意向でマレー半島や旧ビルマなどに派遣された南方徴用作家のリポートや中国人作家による日本語の寄稿もあり、誌面で「大東亜共栄圏」の理念を体現しようとした。

 今回見つかった「新大陸」には、上海の陸軍報道部長による「敵米の宣伝を衝(つ)く」といった題の記事が掲載され、最後まで戦争遂行のための宣伝媒体として位置付けられていたことがうかがえる。

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高岡出身

 堀田善衛さん 高岡市伏木港の回船問屋に生まれた。1945年3月、上海に渡り現地で敗戦を迎える。帰国後に執筆活動を本格化させ「広場の孤独」などで芥川賞。上海生活を題材にした「歴史」や、南京事件を中国人の手記の体裁で描いた「時間」で注目された。

 

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