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米騒動100年(上) 非暴力が運動の原点

町歩きで、魚津の米騒動について市民に説明する麻柄一志さん(奥)

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魚津市民「誤解拭い去りたい」

 「実際は魚津ではまったく暴力はなかったんです」

 富山県魚津市の魚津歴史民俗博物館の麻柄一志館長(63)=考古学=は講演会で米騒動を強調する。魚津から暴動が始まったというイメージが先行するのを拭い去りたい一心だった。

 米騒動は一九一八(大正七)年七〜九月、米価の急騰で生活に苦しんでいた大衆が米の廉売を求めて米屋などを襲った事件。青森、秋田、沖縄三県を除く全国に広がり、七十万〜百万人が参加したとされる。取り締まりに軍隊まで出動し、二万五千人以上が検挙され、当時の寺内正毅内閣が総辞職に追い込まれた。全国へと波及した一連の騒動で、「発祥の地」とされるのが魚津町(現魚津市)だ。

 だが、お年寄りを中心に市民には、これを恥と感じている人がいる。あるアンケートで米騒動には打ち壊しや焼き打ちと同じように暴力的なイメージがあり、それが市民の誇りを傷付けていると判明。教科書に載る挿絵にも打ち壊しの様子が描かれている。「権力に盾つく、けしからん暴挙の発端」との印象が根強い。

【上】今も残る米騒動の舞台となった当時の銀行の米蔵【下】ドキュメンタリー映画「百年の蔵」をPRする、制作委員長の慶野達二さん(右)と飯田恭子さん(中)。左は神央監督=いずれも富山県魚津市で(渡部穣撮影)

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 魚津では暴力はなく「検挙者もいなかった」。麻柄館長は、当時の新聞などの史料に基づき断言し、誤解を解くことに力を注ぐ。「極めて論理的で民主的な運動だった。若い世代に正しく歴史を伝えていかねばならない」

 当時の新聞などによると、七月二十三日、魚津港に寄港した北海道への輸送船「伊吹丸」への米の積み込みを、町の主婦ら約六十人が阻止。銀行の米蔵から次々と運び出される米俵に女性がしがみつき、「これ以上、米の値段を上げてくれるな」と嘆願した。

 「積み出し阻止も、決して思いつきでやったことではない」。麻柄館長は訴える。「どうすれば米の値段を抑え、助けてもらえるか。明治の時代から何度も続いていた要求行動で、主婦たちは知っていた」。町は生活難の町民の七割に救済措置を講じ、魚津での騒動は収まったとの記録が残っている。主婦たちの行動は、前日の井戸端会議で話し合ってのことだった。一方、暴力事件の記録はない。

 騒動から百年の節目に合わせ、有志たちが当時の魚津の様子をドキュメンタリー映画「百年の蔵」にまとめた。今も市内に残る当時の銀行の米蔵を舞台に、高校生が米騒動を調べるという内容。当時を知る女性の証言から、家庭を守ろうとした主婦たちの心意気が伝わってくる。

 映画の制作委員長を務めた慶野達二さん(74)は「平易で分かりやすいストーリーに出来上がった」と胸を張る。副委員長の飯田恭子さん(80)も「すごいことをしたという過大評価も、とんでもないことをしたという過小評価も要らない。ありのままを知ってほしい」と意義を強調する。

 上映会は八月一日に市内で行う。年内に東京などでも開催し、全国へと広めるつもりだ。 (渡部穣)

     ◇

 民衆が米の値下げを求めて立ち上がった米騒動。一九一八年に富山県東部で始まり、全国各地に広まった。発生から今年で百年を迎えるのを機に、今に生きる人たちの思いを伝える。

 

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