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特報とやま

教え子と知人 奪った毒 富山大教授・医師 奥寺敬さん

おくでら・ひろし 1955年、神戸市生まれ。信州大医学部卒。98年の長野五輪で医療救護を統括。2003年から富山医科薬科大(現富山大)教授。専門は危機管理医学。

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 元代表や元幹部の死刑が執行されたオウム真理教事件。富山大付属病院災害・救命センター長の奥寺敬教授(62)は、長野県松本市の「松本サリン事件」で現地医師として被害者を治療した。あれから四半世紀。教え子と知人を失った痛みを抱え、テロ対策の研究や対策機関への啓発に身をささげている。(山本真士)

松本サリン 現地で治療

 深夜に鳴らされたインターホンで目を覚ました。「先生、大丈夫ですか」。地元消防の救急隊員だった。自宅マンション周辺で体調不良の訴えが相次ぎ、隊員は状況の確認に家々を回っていた。事態がのみ込めぬまま、勤めていた信州大医学部付属病院へ急いだ。

 病院に着くと、けいれんや筋弛緩(しかん)を起こした被害者が次々に運ばれてきた。原因は不明。しかし、地元農家がしばしば発症していた農薬中毒に症状が似ていたため、対処法の見当は付いた。他の病院と連携し、でき得る治療を尽くした。

 犠牲者のうち、信州大医学部生で富山市出身の安元三井(みい)さん=当時(29)=は、臨床研修で指導していた。製薬会社員の男性=当時(26)=は、病院へ営業に来ていて何度も会っていた。「精神的につらかった。私も被害者だと思っている」

 サリンが散布された現場は自宅近く。上階に住み、たまたま窓を閉め切っていて、直接的な被害は受けなかった。一人の住民として恐怖に震えた。救急医として、十分な備えがなかった化学テロへの危機感を募らせた。災禍から教訓を得ようと、地元の医療チームの主任研究者を引き受け、事件の報告書をまとめた。

対テロ 今も研究や啓発

 発行当日の翌年三月二十日朝。東京の地下鉄で激しい異臭騒ぎが起きた。搬送される人々の様子をテレビで見て、原因はサリンだとすぐに分かった。東京の医師は農薬中毒を治療する機会は少ない。「これを参考にしてくれ」。搬送先にコピーをファクスした。「あの資料がなかったら、対応は難しかった」。後日、東京の医師から感謝された。

 捜査が進み、医者や医学生だった信者が関わっていたことが分かった。「医療の知識が悪用された」。ショックを受け、指導する学生たちに言い聞かせるようになった。「医療に携わる人間にまず必要なのは倫理観だ」。事件の過程や動機が明らかになったとは今も思えない。「全てを話してほしかった」。元代表や元幹部らの死刑執行を、複雑な心境で受け止めた。

 海外では神経ガスが使われる事件が相次ぐ。サリンより毒性が強く、使用前の察知が難しい「VXガス」はマレーシアでの北朝鮮の金正男氏暗殺、「ノビチョク」は英国でのロシア元スパイの暗殺未遂で使われたとみられている。「神経ガスは拡散している。コントロールできていない」。二年後の東京五輪に向けた警備や医療の会議に出向き、対策の助言を続けている。

 松本サリン事件 1994年6月27日深夜、長野県松本市の住宅街でオウム真理教信者がサリンを散布。8人が死亡し、約600人が体調不良を訴えた。

 

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