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新湊旋風を振り返る(下) 「今こそヒーローに」

「新湊旋風」を振り返る当時のエース酒井盛政さん=富山県高岡市伏木湊町で(山本拓海撮影)

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エース・酒井さん 勝利のたび自信

 初めて立つ甲子園のグラウンドは雨でぬれていた。一九八六年のセンバツ三日目(三月二十八日)第二試合。新湊の初戦は、優勝候補筆頭・享栄(愛知県)の先攻で始まった。

 二回に先制した1点を守り、ピンチを乗り切って迎えた七回表。無死一、三塁とされ、打席には享栄のエースで主軸の近藤真一(現・真市)選手が入った。1点は取られると覚悟した。だが打球は遊撃手の前へ転がり、二塁送球の間に三塁走者が本塁へ。二塁手が素早く送球してタッチアウト。試合が終わってみれば、被安打2の完封勝ちだった。

享栄を破り喜び合う新湊の選手ら(左端が酒井盛政さん)=1986年3月28日、甲子園球場で

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 九回表、最後の打者をセカンドフライに打ち取った瞬間、喜びより「勝ってしまった」という驚きの方が大きかった。

 絶妙な制球で享栄打線を翻弄(ほんろう)し、決勝点もたたき出した当時のエース酒井盛政(しげまさ)さん(49)=富山市在住=は、昨日のことのように一場面一場面を振り返る。

 享栄戦に向けては、闘志に火が付く屈辱的な出来事があった。組み合わせ抽選会。対戦相手が決まった瞬間だった。「享栄の選手たちがガッツポーズをした。自分たちには実力がないから、その気持ちは分からないでもないが、見返してやりたいと思った」

 酒井さんは二回戦の優勝候補・拓大紅陵(千葉県)戦でも逆転の二塁打を放ち、準々決勝の京都西戦は延長十四回を投げ抜き、快進撃に大きく貢献した。

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 チーム躍進の源を「練習をこれでもかとスパルタでしてきた自負があった」と語る。あの年も今季と同じ豪雪だった。雪かきしたばかりの水浸しのグラウンドで長靴を履き、ぬれながらノックを受けた。だから享栄戦は「雨が嫌とは思わなかった」。

 高校卒業後は社会人野球の伏木海陸運送(富山県高岡市)で活躍した。野球を離れて二十年。同社で働くが、高校野球は欠かさず見ており「取材を受けるたび当時の気持ちを思い出す」。

 今大会に出場する富山商には「ベスト4を突破し記録を塗り替えてほしい。北信越の代表として自信を持っていけば力のあるチーム。勝ち負けよりも、まずは持てる力を発揮できるかが大切」と助言。経験から「一つ勝てば勝ち上がるごとに強くなる感覚がある。準優勝、優勝をつかんでほしい」とエールを送る。

 ヒーロー ヒーローになる時 アーアー それは今−。酒井さんは甲子園のマウンドに向かうとき、甲斐バンドの曲を口ずさんでいた。「今頑張ればヒーローになれる」。そう自分に言い聞かせて。 (山本拓海)

 

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