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新湊旋風を振り返る(上) 原動力は無欲だった

(上)「できることをすれば結果はついてくる」と富山商にエールを送る檜物政義さん=富山県高岡市の高岡向陵高で(向川原悠吾撮影)(下)「新湊旋風」を報じる当時の北陸中日新聞

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 今年は高校野球にとって節目の年。春は九十回、夏は百回の記念大会を迎える。春のセンバツで球史に輝く富山県勢といえば一九八六年の「新湊旋風」が筆頭だろう。県内が熱狂したあの日を振り返り、二十三日開幕の今大会に臨む富山商へのエールとしたい。

86年の監督・檜物さん 富商にエール

 新湊旋風を巻き起こした原動力は「無欲」。監督として当時チームを率いた檜物(ひもの)政義さん(65)=現高岡向陵高校野球部監督=は、そう分析する。「勝とうと気負うよりも、毎回良い試合をすることだけを考えていた。それが結果につながった」

 出場三十二校で、新湊は地方大会の打率が最低。際立った選手がいるわけでもなく、下馬評は低かった。

 初戦の相手は優勝候補筆頭の享栄(愛知)。エースはその後、中日ドラゴンズにドラフト一位で入団する近藤真一(現・真市)選手だった。投球を見て「あんなの打てないよ」と感じたが、口には出さなかった。「敵は自分。何もできずに終われない。目を閉じてでも打て」と選手を鼓舞し続けた。

 すると、エースの酒井盛政選手が期待に応えた。内角を攻められた球を、右中間にはじく適時三塁打。「恐れずに立ち向かったからこそ、あの一打が出た」

 結果的にこれが決勝点となり、初戦突破。大番狂わせを起こした勢いは止まらない。二回戦は優勝候補の一角、拓大紅陵(千葉)に逆転勝ち。続く準々決勝は京都西と延長十四回を戦い、相手投手のボークで劇的勝利を収め、準決勝へ駒を進めた。

 「大舞台だからこそ流されず、良い試合をしようとした」。が、準決勝は違った。「勝てば決勝」「その次は優勝」。先を意識した。それまで無欲だったが、選手に「ここまできたら優勝しよう」と声を掛けた。

 準決勝は打ち込まれ、敗れた。相手の宇都宮南(栃木)は前評判が高いチームではなかった。疲れもあったが、一番の敗因は、それまで優勝候補を倒し続けていただけに「勝てる」と思ってしまったことだったという。

 「おごりが出た。目の前の一戦に集中できなかったのだと思う」と、今も反省する。富山商の初戦を前に思う。「目の前のできることをすればいい。そうすれば結果はつく。そうやって新湊旋風を超えてほしい」 (向川原悠吾)

地元1万人が甲子園で応援

 富山県勢として春夏通じて初のベスト4に進んだ新湊。漁師町の球児の快進撃に、当時の富山県民は歓喜に酔いしれた。

 本紙記事によると、京都西との準々決勝には新湊市(現射水市)の人口の四分の一に相当する一万人が応援に駆け付け、三塁側アルプス席と内野席を埋め尽くした。延長十四回にボークで決勝点を挙げると「ワッショイ、ワッショイ」の合唱が響き、甲子園はお祭り騒ぎになった。

 新湊に残った住民もテレビ中継で見守った。大型商業施設で喫茶店を開いていた米沢政則さん(70)は「男はみんな応援に行き、町中を歩いているのは女、子供、ネコ、年寄りだけだった」と振り返る。妻の佐千子さんも「残った人たちは、全く知らない人同士でも町ですれ違うと新高(しんこう)の話で盛り上がって、町全体に一体感が生まれた」と話した。

 いつも仲買人三百人が集まる漁港の昼競りには三、四人しか訪れず、開店休業状態に。市議選の投票が迫っていたが、試合時間に選挙カーの音が一斉にやんだという。 (山本真士)

 

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