トップ > 富山 > NPO通信 > 記事

ここから本文

NPO通信

ぴーなっつ(14) 「障害者」と表記する

障害の表記うんぬんではなく、一緒にいろんな所へいけば見えてくるものがたくさんあると感じる筆者(最後列右)=京都市の清水寺で

写真

 十三回にわたり連載してきて、次回の最終回の前に「障害者」の表記に違和感を抱かれた読者がいるのではないかと思い、この表記について今回は書きます。

 最近、行政の文章をはじめ民間でも「障がい者」とする表記をよく目にします。「精神分裂病」は偏見を助長するとして「統合失調症」に、「精神薄弱者」は「知的障害者」に、「痴呆」は「認知症」へと変更されました。ですが、これらの変更と「障害者」から「障がい者」への表記変更とは、意味が違うように思います。

 それは言葉を変えたのではなく、字面を変えただけであることと法的文章では「障害者」を使っていることです。「障害者」の害という文字のネガティブ感を払拭(ふっしょく)しようとする苦肉の策といった感が否めず、表層的変更は「障害者」と命名した差別意識を、少しでも薄めようという意図を感じるのは私だけでしょうか?

 以前、NPO法人文福の八木勝自理事長は「社会から害を受けているのは障害者であって、障害者が害なのではない。そのことを伝えるためにも障害者と表記していく」と言っていたことを思い出します。

 私が障害者運動に関わって二十年以上になりますが、以前よりは鉄道やバスなど公共交通機関での露骨な乗車拒否はなくなりましたが、差別が全く無くなったわけではありません。宿泊施設での単独宿泊拒否や予約なしでの鉄道利用を断られるケースは今でもあります。また、富山市の路面電車も車両は段差なく乗降しやすく見えますが、電停の幅は狭く、車いすで方向転換をしての乗車は困難です。一般的には「乗降しやすい車体」と評価されていますが、当事者の声は届いていません。

 「障がい者」の表記と路面電車に共通しているのは「合理的配慮」感を出すことで「障害者にも優しい社会」を実現しているかのような「言い訳」であり、自己満足による安心感を健常者に与えているだけ。本質的には何も変わっていないと感じます。むしろ、この配慮感によって、差別と向き合うことなく、ぼんやりとした差別意識が温存されていることが気がかりです。

 前回も書いた「『合理的配慮』を行わないことは差別である」の「合理的配慮」とは、当事者に必要な配慮です。そんな訳で、ぴーなっつでは「障害者」の表記で統一しています。 (代表 川添夏来)

 

この記事を印刷する

PR情報

地域のニュース
愛知
岐阜
三重
静岡
長野
福井
滋賀
石川
富山

Search | 検索