トップ > 富山 > 1月5日の記事一覧 > 記事

ここから本文

富山

平成の記憶 2002年 田中耕一さんノーベル賞受賞

ノーベル街道をPRする看板=富山市で

写真

実験授業 偉人の礎に

 「個性が強く頑固でありながらひょうきんな面もあり、人気者だった」

 二〇〇二年にノーベル化学賞を受賞した島津製作所シニアフェローの田中耕一さん(59)は、少年時代を富山市で過ごした。小学四〜六年時の担任沢柿教誠(きょうじょう)さん(83)=上市町=は、田中さんの当時の姿を今も鮮明に思い返す。

 理科の授業では実験を大切にしてきた沢柿さん。同級生が実験を間近で見ようと教卓の周りを囲む中、田中さんは「傍観者」のように後ろの方で見ているだけだった。だが、質問を投げかけると、同級生が考えない、気付かないような答えを返して周囲を驚かせた。「周りに同調せず、自分を主張する子」だった。

(右)教え子だった田中耕一さんのノーベル賞受賞を振り返る沢柿教誠さん=上市町で(左)家族らから歓迎され、顔をほころばせる田中さん=2002年10月、富山市で

写真

 あれから三十数年後。沢柿さんは田中さんの吉報を自宅へ帰る途中、車のラジオで知った。「田中耕一」という名前が流れたときは「同じ名前の人がいたな」と思っただけだったが、報道で初めて教え子だと気付いた。「教え子が立派になることは一番の望みで、うれしかった」。四十三歳という若さでの受賞だった。

 田中さんのノーベル賞受賞は沢柿さんにとっても大きな自信につながった。「直接体験が強いイメージとして心に残る」と、実験を中心にした理科の授業を実践してきたことが間違っていなかった。「結果が出て、証明できた」と喜んだ。

 田中さんも「面白ければ好きになれる。好きなことは熱中できる。熱中してやれば真実が見え、新しい発見がある」と当時の授業を振り返っていたという。

 田中さんのノーベル賞受賞をきっかけに、自然科学関連の受賞者と縁が深い富山、岐阜県を結ぶ国道41号は「ノーベル街道」と呼ばれるようになり、全国に知れ渡った。富山ゆかりの受賞者は続き、富山市に自宅がある東京大宇宙線研究所長の梶田隆章さん(59)が一五年に物理学賞、本籍が同市内にある京都大特別教授の本庶佑さん(76)が一八年に医学生理学賞にそれぞれ輝いた。

 田中さんと梶田さんは受賞後、富山県内の学校で講演したり、小学生向けの理科の副読本づくりに特別アドバイザーとして参加したりして県内の教育に貢献している。田中さんは、富山大と県立大の特任教授にも就任した。

 一方、沢柿さんは理科教育の研究会に出席したり、授業で使える実例を掲載した本をまとめたりして、田中さんを育てた教育法を伝えている。「ものづくり県とやま」を担う次世代の育成に、関係者は今もそれぞれの形で関わり続けている。 (山中正義)

 

この記事を印刷する

中日新聞・北陸中日新聞・日刊県民福井 読者の方は中日新聞プラスで豊富な記事を読めます。

新聞購読のご案内

PR情報

地域のニュース
愛知
岐阜
三重
静岡
長野
福井
滋賀
石川
富山
地方選挙

Search | 検索