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坪井信良の書簡 新発見 高岡出身の蘭方医 

信良の書簡を示す仁ケ竹亮介主査学芸員。パネルは坪井信良の写真(幕末維新風雲通信より引用)=高岡市博物館で

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あすから市博物館で公開

 高岡市博物館は、江戸時代の海外密航未遂事件(下田踏海(とうかい)事件)で思想家・吉田松陰と蘭学者・佐久間象山が投獄された幕末の動乱を詳細に書いた同市出身の蘭方(らんぽう)医・坪井信良(しんりょう)(一八二三〜一九〇四年)の書簡一通を新発見した。信良が、義伯父の僧侶に宛てた手紙で、信良と象山の関係がうかがい知ることができる史料として貴重。同博物館は六日から公開する。

 書簡は、同博物館の仁ケ竹(にがたけ)亮介主査学芸員(43)が東京都内の古書店の古書目録から見つけた。

 ペリー来航の翌年の一八五四(嘉永七)年六月六日付で、松陰が下田沖に停泊していたペリー提督の旗艦に潜入し、海外密航を企てたが失敗した「下田踏海事件」と、連座して投獄された象山について、七十四行にわたって記している。

 信良は高岡町医師の佐渡養順の次男で、幕末には徳川慶喜の侍医を担った。書簡は、象山と親交がある関西在住の義伯父が、当時は福井藩医として江戸にいた信良に象山の情報を求めたのに応じたとみられる。

 長さ約一・五メートルの書簡の中で、入獄六十日以上が経過していることを挙げ「讒言(ざんげん)(告げ口)を採用して、賢者を有罪にすることこそ末世のあしき習慣。あきれ果てるばかり」と憤慨する思いもつづっている。

 信良の書簡研究の第一人者である宮地正人東大名誉教授は「信良と象山は深川で塾が近く、接触していたはず。情報交換の密度が判明する好史料」と評価している。

 仁ケ竹主査学芸員は「投獄事件を詳しく伝えており、世の中の閉塞(へいそく)感に対する批判も書いている。高岡生まれで、信良のような人物がいたことを知る機会になれば」と話している。

  (武田寛史)

 

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