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W鈴木の挑戦 〜翔太と博志〜

博志の活躍 努力が結実

◆磐田東高で「女房役」の加藤さんがエール

磐田東高3年時の鈴木博志投手(後列左から2人目)と、加藤誠季さん(2列目左)。斎藤誠哉投手は前列右=加藤さん提供

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 プロ野球は二十九日からセ、パ両リーグの交流戦に入る。ヤマハからドラフト一位で入団した中日の鈴木博志投手(21)は、これまでチーム最多の二十二試合に登板。二十七日には3勝目を挙げるなど、新人ながら中継ぎ陣の柱になっている。磐田東高でバッテリーを組んだ加藤誠季さん(22)は「別人と思うくらい成長した。まだまだ上に行ける」とエールを送る。

 磐田東高二年の秋から正捕手となり、博志投手や斎藤誠哉投手(22)=ソフトバンク育成=の球を受けた加藤さん。博志投手の高校時代について「努力型。チームで一番練習していた。右肘を痛めて投球がつらそうな時もあったが、走り込みは、まだやるかというくらいやっていた。当時からプロになる意識を持っていて、先を考えて行動していた」と振り返る。

 高校時代の博志投手は昼食時、寮の食事とは別に、母親の英美さんに掛川市の実家から、容器に山盛りに入れたごはんや肉を持ってきてもらっていた。「ヤマハに入ってウエートトレーニングで体重を増やしたと聞いたが、あの人一倍の食事量も土台になっていると思う」と話す。

 最速157キロを計測する自慢の直球は、当時から140キロ台に達していた。しかし「速かったが、棒球も多く、その日によってばらつきがあった。今は直球に自信を持っている。直球とカットボールだけで勝負できるのは、練習量に裏打ちされたもの」と感じている。

鈴木博志投手の高校時代を振り返る加藤さん=名古屋市の名城大ナゴヤドーム前キャンパスで

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 球速以上に見違えたのは精神面だ。「高校時代はピンチになると、マウンドでの態度が本当に分かりやすかった。帽子を触って下を向いて、明らかな動揺を見せた。監督にもよく怒られていた」。プロ入り後は走者を出しても顔色一つ変えないようになり「昔は考えられないふてぶてしさ。同じ人と思えない」という。

 卒業後も毎年、忘年会を開いて旧交を温める。四月二十一日の初勝利の後、加藤さんが携帯電話で「初勝利おめでとう」とLINE(ライン)に送ると、博志投手からは「ありがとう」と返ってきた。「人柄は変わっていない。強い精神力でどんどん自分の投球をして、日本のキンブレル(博志投手が憧れる米大リーガー)になってほしい」と願う。

 加藤さんは大学まで野球を続けたが、捕手だったのは高校のこの一年間だけ。大学の友人には捕手だったことをあまり明かしていない。「博志や誠哉の球を受たのは自分の誇り。胸の中にしまっておきたい。二人のように、社会人として輝ける場所を探します」

◆20奪三振 中継ぎの柱に

 鈴木博志投手は四月一日の広島戦(マツダスタジアム)でデビューし、新人記録にあと1試合に迫る開幕9試合連続無失点を打ち立てた。同二十一日の広島戦(ナゴヤドーム)で初勝利を挙げ、二十七日までの成績は3勝1敗、好リリーフの記録「ホールド」は9で、20奪三振は中日の中継ぎ陣で最多。

 主な役割はチームが勝っていたり、競っていたりする終盤、抑え投手につなぐため、失点を防ぐ「セットアッパー」。七回や八回の1イニングを投げるケースが多い。

 かとう・まさき 1996年4月21日、浜松市西区生まれ。入野中では投手、内野手。磐田東高では内野手から捕手に転向した。名城大人間学部に進学。準硬式野球部に所属し、内野手で活躍。

(荒木正親)

 

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