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支えた姉「残念」 気丈「今後も頑張る」

東京高裁決定を受け、記者会見する袴田巌さんの姉秀子さん=11日午後、東京・霞が関の弁護士会館で

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 開きかけた再審への扉は再び閉じた。一九六六年に静岡市(当時清水市)で起きた一家四人の強盗殺人事件で、東京高裁は十一日、袴田巌さん(82)の再審開始を認めない決定を出した。四年前の静岡地裁の決定とは逆の結果に、弟の無実に半生を懸けてきた姉の秀子さん(85)は「残念」と声を振り絞った。高裁前で支援者らはしばし言葉を失い、憤りの声と悲鳴が上がった。

 「残念でございます。次に向かって進みます」。秀子さんは再審開始を認めない決定を受けて、東京高裁前で少し伏し目がちにマイクを握り、声を震わせた。

 秀子さんは午後一時半ごろ、高裁十五階の部屋で西嶋勝彦弁護団長らとともに、決定文を受け取った。当初は「裁判のことは半分くらい分かって、半分くらいは分かっていない」弟と受け取るつもりだった。

 再審開始決定は認められなかったが、その後の会見で、「巌の身柄は拘束されないのでひと安心」と大切にしてきた二人の時間だけは何とか守り、ほっとひと息ついた。

 「言ったって聞かないんだから、余分なことを言わないようにしてきた」。弟との暮らしを問われ、少し笑みを浮かべた秀子さんは四年前、四十八年間の拘置で精神を病み、権力の頂点だという「ローマ法王」や「最高権力者」と名乗る弟と暮らし始めた。弟が「仕事」と称する日課の散歩で、市中心部を五時間歩き回ってもかみ合わない話をしても、正そうとはしなかった。巌さんの好きなようにさせてきた。

 弟が収監されていたころも、拘置所への月一回の面会は欠かさず、弟を見守ってきた。「姉はいない」と言われても、精神状態が不安定で面会拒否が続いても、東京拘置所と浜松を往復。「五十年頑張ってきました。これからも頑張っていきますよ」。大勢の記者らを前に気丈に振る舞った。

 「巌は逮捕された三十歳から幸せとは縁遠かった」。最近の袴田さんの変化を問われた秀子さんは、袴田さんが先月、静岡市葵区に設置された支援者らがメッセージを書き込める壁に「幸せの花」と書いたことを思い出していた。四年間で、弟は支援者との間で冗談も飛ばせるほどに。最初はぶつぶつと一人呪文のような言葉を唱えていたが、「笑い顔も増え、明るくなりました」と変化を喜んだ。

 秀子さんはこの日、袴田さんが書き込んだ言葉にあわせて、支援者から渡された一輪の花を手に持ち、高裁に入った。望んだ結果ではなかったが「いつかは巌と一緒に『おめでとう』『おめでとう』と言われながら、帰りたい」と、会見で少し目を潤ませた。

(角野峻也)

 

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