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しずおか蹴球伝 王国の歩み

紡がれる闘魂 清水東(1) 21年間導いた勝沢要

清水東高を全国大会の常連に導いた勝沢要監督

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 ピーンと伸びた背筋。ジャージー姿で腕を組み、眼光鋭くボールを追う−。監督歴二十一年間で清水東高を全国高校総体優勝三回、全国高校選手権優勝一回に導いた勝沢要(かつざわかなめ)(76)がベンチに座ると、周りには一瞬の緩みも許されない独特の緊張感が漂った。

 勝沢は旧清水市出身。小学生までは、わがままで独りよがりの性格だったという。団体競技でもまれた方がいいと、静岡大付属静岡中二年の時、サッカー部に入部。GKで主将に任命された。だが、二年生の一年間は一回も勝てず悩んだ。「なぜ勝てないのか」と自分を突き詰め、「明るくほがらかに」「頭を使って、効率良く」などのテーマをチームメートに伝えた。効果はてきめんだった。三年になると、公式戦で県大会ベスト4の成績を収めた。

 「人は変われる。ぎりぎりまで、自分を追い詰め、内部改革すれば、大きく変貌できる。そして、周りの人間にも好影響を及ぼす。この県大会ベスト4は自分にとって、大きな教訓となった」

 進学した清水東高ではサッカー部に入らなかった。「家計が苦しくて、国立大進学しか道はなかった。そのためには、勉強しなければいけない。だからサッカー部には入らなかった」という。だが、中学時代にサッカーの魅力にとりつかれた勝沢は、サッカー部の練習を見ているうちに、我慢ができなくなった。「勉強とサッカーを両立させてやる」。一年生の九月。サッカー部の監督に入部を申し込んだ。ポジションはGKだった。

 時は、藤枝東高の全盛期。小柄なGKの勝沢が奮闘しても、藤枝東高には勝てなかった。三年間で対戦した試合はすべて敗れた。負けず嫌いの勝沢の胸にたぎる思いがあった。「母校の監督になって、後輩たちと一緒に藤枝東に勝ちたい」

 東京教育大(現筑波大)体育学部に進学。大学ではレギュラーにはなれなかった。教員免許を取得し、卒業後は富士高に赴任。二年目にサッカー部を立ち上げ、早朝練習などで鍛え、三年目に県スポーツ祭でベスト4の成績を収めた。東部勢では初の快挙。当時の清水東高の校長らに評判は伝わり、二十七歳の時、母校に赴任することになる。

=文中敬称略

 

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