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静岡連載

宗吉の音 幻の作曲家を追って(特別編)

◆浜松出身ピアニスト 80年前の作品演奏

尾崎宗吉作曲のピアノ曲を弾く犬飼新之介さん=浜松市中区のかじまちヤマハホールで

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 終戦三カ月前に三十歳で戦病死した浜松出身の悲劇の作曲家、尾崎宗吉が残した楽譜のうち現存する唯一のピアノ曲「四つのピアノ小品」を、ヨーロッパを中心に活躍するピアニスト犬飼(いぬがい)新之介さん(36)が演奏した。同曲の楽譜は長く行方不明となっていたが近年、発見された。犬飼さんは「生きていたなら、世界を驚かせるような、何か新しいものが生まれていたかも」と語り、戦争が奪った若者の未来に思いをはせた。

 浜松市内の音楽ホール。外は雨。四分余りの演奏を終え、余韻を追い掛けていた犬飼さんが目を開けると、小さな拍手が起きた。客席で二人だけ、夫とともに演奏に聞き入っていた宗吉のめい小池祥子さん(71)=浜松市西区=は「きれいな曲。叔父は楽しんで作ったんだと思う。聴くことができてうれしい」と顔をほころばせた。

 「四つのピアノ小品」は一九三八年、二十三歳の宗吉が記した。宗吉は約二十曲を作曲したとされるが、その半数は戦禍で楽譜が散逸し、どんな曲だったのか分からない。このピアノ曲もそうした一つだったが、東京芸術大付属図書館が二〇一三年、所蔵する音楽資料の中から楽譜を確認し、公開していた。

◆「可能性奪った戦争 残酷」

ピアノ曲としては唯一残っている「四つのピアノ小品」の楽譜

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 本紙は県内版で計十回連載した「宗吉の音」の取材過程で曲の存在を知り、母校浜松第一中学校(現浜松北高校)の後輩に当たる犬飼さんに演奏を依頼。「不思議な縁を感じるし、親近感を覚える」と犬飼さんが快諾し、八十年前に書かれた楽譜の演奏が実現した。

 犬飼さんは曲を構成する四つのパートについて「一番で音の素材を見せて、二〜四番で音程や長さを工夫し、素材のバリエーションの多さをみせている。実験的な作品」と解説。重苦しいメロディーから一転、疾走感のある締めくくりに「ユーモアを感じた」と話した。

 宗吉が一回目の召集を終えた後に作曲し、遺作となったチェロとピアノの二重奏曲「夜の歌」と比べ「まったく感じが違う」と犬飼さん。夜の歌は「漆黒の闇のよう。感情的で病んでいるように思える」。

 宗吉が逝った年齢を犬飼さんはもう通り越した。「作曲家は年齢とともに作品が変化するもの。尾崎さんが年を重ねることができていたら…。その可能性を奪った戦争は残酷で悲しい」と目を伏せた。

◆創作期間わずか5年

尾崎宗吉

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 尾崎宗吉は一九三五年、「小弦楽四重奏曲」で作曲家デビューした。二度にわたって兵役に召集されて海外に赴き、四五年五月十五日、出征先の中国で虫垂炎を発病し亡くなった。実質の創作期間はわずか約五年だった。

 戦地から一時戻った宗吉が記した作品で現存するのは、遺作となった「夜の歌」のみ。関係者によると、戦地に赴く前は、学生時代にシロホン(木琴)に親しんだためか、リズミカルな曲調だったが、遺作は一転して静寂さ重苦しさが漂う曲となっている。

 宗吉は一五年四月二十二日、浜松・弁天島にあった老舗旅館「松月」の十人の兄弟姉妹の末の男の子として生まれる。東洋音楽学校(現東京音楽大)に進学後、ドイツの作曲法を身に付けた諸井三郎に師事し、作曲の道に入った。三九年夏に召集され、四二年冬まで中国北部やフィリピンなどを転戦。一度は帰国するも、約半年後に再び中国に赴いた。

(飯田樹与)

 犬飼新之介(いぬがい・しんのすけ) 1982年3月、浜松市生まれ。浜松北高校卒業後、桐朋学園大に進み、首席で卒業した。2013年、ボン・テレコム・ベートーヴェン国際ピアノコンクールで聴衆賞を受賞。現在は独・フランクフルトに住み、ヨーロッパを中心に演奏活動をしている。

 

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