トップ > 静岡 > 地域特集 > 静岡連載 > 記事一覧 > 2018年の記事一覧 > 記事

ここから本文

静岡連載

宗吉の音 幻の作曲家を追って(9)

◆戦争の影「夜の歌」

尾崎宗吉の足跡を掘り起こした音楽評論家の小宮多美江さん=東京都練馬区で

写真

 ピアノとチェロが哀愁を帯びた音色を奏でる。題名は「夜の歌」。長さ四分余り。尾崎宗吉が残した最後の曲だ。

 一九四二(昭和十七)年十二月、宗吉は無事、戦地から戻ると、判明しているだけでピアノ曲「変奏曲」、歌曲「逝く秋」、「バイオリン・ソナタ第四番」、そして「夜の歌」の四曲を相次ぎ発表した。うち三曲の楽譜は戦禍で散逸してしまい、戦争を経験した宗吉がどんな曲を作ったのか、「夜の歌」以外に知るすべはない。

 軍に召集される前、宗吉の音はのびのびとして、軽やかだった。宗吉をはじめ、戦前戦中の作曲家の足跡を掘り起こしてきた音楽評論家の小宮多美江さん(87)は「木琴をやっていたから非常にリズミック。デビュー曲などは作曲への喜びがあふれている」と説く。

 それが「夜の歌」では、「聞き手の感情をつかんでくるような半音的な動き」が目立ち「悲壮感が音の流れに出ている」という。

 水戸黄門のテーマ曲などで知られ、宗吉に音楽の道に導かれた作曲家木下忠司は「夜の歌」について「人間としてのどうにもならない、いらだち、不安、あきらめを通して静かな死を迎えようとする安らぎがある」と語っている。

尾崎宗吉の絶筆となった「夜の歌」の自筆譜(コピー)

写真

 昼と夜、生と死、動と静…。殺し合いが続き、光が見えない日常に身を置き、宗吉の音は一変した。

 「愚劣だ」。いつ、どんな風に言ったのかは明らかではないが、宗吉の親友だった作曲家小倉朗によると、宗吉は戦争のことをただ一言、そう評したという。

 四三年夏の終わり、宗吉は「夜の歌」の初演を待たずして、再び「愚劣なる地」へと旅立った。そして、二度と祖国の地を踏むことはなかった。

 

この記事を印刷する

中日新聞・北陸中日新聞・日刊県民福井 読者の方は中日新聞プラスで豊富な記事を読めます。

中日新聞しずおかの記事はこちら

新聞購読のご案内

PR情報

地域のニュース
愛知
岐阜
三重
静岡
長野
福井
滋賀
石川
富山

Search | 検索