トップ > 静岡 > 地域特集 > 静岡連載 > 記事一覧 > 2018年の記事一覧 > 記事

ここから本文

静岡連載

宗吉の音 幻の作曲家を追って(5)

◆結婚、近づく軍靴の音

上空から見た昭和初期の阿佐ケ谷駅付近=杉並区提供

写真

 JR阿佐ケ谷駅(東京都杉並区)の北口から駅前商店街を外れ、緩やかな坂道を上ると、住宅が立ち並ぶ閑静な一画に出る。

 一九三七(昭和十二)年に東洋音楽学校(現東京音楽大)を卒業した尾崎宗吉はこの辺りに居を構えた。現在からは想像できないが、当時、二階の窓から草原が広がっていたというから作曲には良い環境だったのかもしれない。宗吉はここで新進の作曲家として歩み始め、私生活でも大きな転機を迎える。

 宗吉の新居の向かいに、夫を亡くし、幼い娘と二人で暮らす郁子という女性がいた。宗吉はその娘にピアノを教えていたのだが、ほどなくして郁子と結婚する。新婚生活がどんなものだったのか、探した限りでは、甘い証言や記録は見当たらない。

1944年に撮影された阿佐ケ谷駅北口東側踏切=杉並区提供

写真

 ただ、わずかに郁子の親類の登喜子という女学生が「おじさん」になった宗吉のことを作文などに書き記している。

 日々、軍国色が強まる中、登喜子にとって宗吉は「まったく違う世界の楽しさを教えてくれた人だった」という。自宅に音楽仲間を招き、室内楽に興じる。接待するのは郁子と登喜子だった。時にはピアノやチェロのリサイタルに出掛けたり、宗吉の曲が収められたレコードを一緒に聴いたりしたという。

 登喜子は「あの日」のことも、詳しくしたためている。

 一九三九年八月十九日。雨がひどく降ったりやんだり、時には雷が鳴るような一日だった。退屈しのぎに宗吉宅を訪れた登喜子は一緒にトランプなどをして過ごしていた。と、「尾崎さん、電報」と配達夫の声。

「召集じゃないかな」。宗吉はこう言いながら玄関へ出て行った。

 浜松に住む長兄から。「召集令状が来たから、帰郷を」。予感通り、そんな内容だった。

 

この記事を印刷する

中日新聞・北陸中日新聞・日刊県民福井 読者の方は中日新聞プラスで豊富な記事を読めます。

中日新聞しずおかの記事はこちら

新聞購読のご案内

PR情報

地域のニュース
愛知
岐阜
三重
静岡
長野
福井
滋賀
石川
富山

Search | 検索