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静岡連載

宗吉の音 幻の作曲家を追って(4)

◆作曲の道へ才能開花

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 音楽の道をシロホン(木琴)とともに歩み始めた尾崎宗吉だが、一九三四(昭和九)年、私立の音大として最も古い東洋音楽学校(現東京音楽大)のピアノ科に進み、間もなく作曲に取り組むようになる。

 当時の音楽界は大正デモクラシーによって育まれた芸術創作の機運が高まり、日本人による作曲活動も熱を帯び始めていた。西洋の音を取り入れ、熟していく音楽のダイナミズムの中に宗吉もまた身を投じた。

 学校で師事したのは戦前の国内音楽界をけん引した一人、諸井三郎。宗吉は諸井がドイツ留学で持ち帰った最新の作曲技法を学び、真綿に水のように吸収していった。

 三五年九月、宗吉は三楽章からなる「小弦楽四重奏曲」を書き上げる。諸井は弟子の初めての作品を東京音楽協会の演奏会に推薦。オーディションを経て、二カ月後に初演されると、たちまち評判を呼び、終戦までにラジオ放送を含めて十数回、演奏されたという。

 オーディションで宗吉の曲を演奏したチェロ奏者の井上頼豊は後に「まれにみる大胆新鮮な発想で私たちを驚かせ、喜ばせた」と振り返っている。井上によると演奏後、会場の沈黙が覆ったという。「演奏会に出しましょう」と一声でそれを破ったのは「赤とんぼ」などで知られる作曲家、山田耕筰だった。

 宗吉は作曲家デビューを果たした翌三六年もチェロ曲「幻想曲とフーガ」や歌曲「初夏小品」を相次いで発表した。作曲家の道を順調に進む宗吉だったが、この年、宗吉とさほど年齢の変わらぬ陸軍青年将校らによるクーデター「二・二六事件」が発生。日本は軍国主義への傾倒を強め、軍靴の音は宗吉にも迫りつつあった。

 

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