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静岡連載

宗吉の音 幻の作曲家を追って(3)

◆シロホン奏で話題に

1915年に作られた日本楽器製造の児童用木琴=ヤマハ提供

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 浜松市西区の弁天島にあった老舗旅館「松月」の末の男の子として生まれた尾崎宗吉は、恵まれた環境で育ったようだ。当時、庶民には高根の花だった洋楽器に幼少のころから親しんでいた。

 一九二八(昭和三)年、浜松第一中学校(現浜松北高校)に入学したころには「シロホン」を弾き始める。木琴の一種で、高く澄んだ音色がするこの楽器を宗吉はなぜか、とりわけ好んだ。

 病気で一年間、休学した後は一層、練習に熱が入り、マレット(ばち)でたたきすぎて、音板(おんばん)がすぐにささくれ立ってしまったことも。弁天島に隠居所を持っていた日本楽器製造(現ヤマハ)の創業者・山葉寅楠が尾崎家と親しくしていたおかげなのか、同社から米国製シロホンを譲ってもらった。音板をバラバラにすることができたので、宗吉はいつでもどこでも演奏できるよう、風呂敷に包んで持ち運んだという。

昭和初期につくられた日本楽器製造のリード・オルガン。幼い宗吉も欲しがった=浜松市中区の浜松市楽器博物館で

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 腕前はかなりのものだったようだ。宗吉の中学同級生で作曲家の木下忠司は、弁天島にある宗吉の家に招かれた際、シロホンでモーツァルトの「トルコ行進曲」をよどみなく奏でる姿に舌を巻いたと手記につづっている。

 同中二年生の時、宗吉たち音楽部のメンバーが創立間もない浜松高等工業学校(現静岡大工学部)の記念祭に出演した。招待したのは同校の助教授だった高柳健次郎=浜名郡和田村(現浜松市)。世界で初めて電子式テレビに映像を映し出した「テレビの父」らが耳を傾ける中、宗吉はシロホンで「アメリカン・パトロール」と「ウィリアム・テル」を独奏した。同中の当時の校友会雑誌は「当日シロホンにて孤軍奮闘し最も優秀な成績をおさめし若武者」とその姿を記している。この演奏会の様子はラジオで放送され、宗吉の家族もラジオを囲んで聴いたという。

 

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