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静岡連載

宗吉の音 幻の作曲家を追って(2)

◆音楽の道 木下を導く

浜松第一中学校時代の木下忠司(上)、尾崎宗吉(下)=いずれも浜松北高校同窓会提供

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 木下忠司は戦後日本の映画音楽を数多く手掛けた作曲家で、テレビ時代劇「水戸黄門」の主題歌などヒット曲も多い。映画監督の木下恵介は実兄で、その代表作「二十四の瞳」の音楽担当も務めた。

 一九三一(昭和六)年、浜松第一中学校でクラスメートとなった尾崎宗吉と木下忠司はどんな青春時代を送ったのか。一中を前身とする浜松北高校の同窓会に残る校友会雑誌や木下の手記で再現する。

 「木下君、音楽部に入らない?」

 二人の出会いは三年の新学期。宗吉から部の勧誘を受けたのが、最初の会話だった。宗吉は病気で一年休学していたため、年齢は一歳上。優しいまなざしに、柔らかな語り口の少年だったという。

 「今の剣道部を止められるなら」と木下が応じると、「良いよ。僕から剣道部に話してあげる」と宗吉。先生や先輩へ話をつけ、晴れて木下は音楽部に入った。校内の演奏会で宗吉が打楽器、木下がチェロを弾いたり、また別の機会では二人ともバイオリンを担当したりした。

浜松第一中学校を前身とする浜松北高校=浜松市中区で

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 音楽に引き込んだのが宗吉であれば、岐路に立っていた木下を作曲の道に導いたのもまた、宗吉だった。

 木下が音楽大を受験するため、ピアノと声楽を学び浪人生活を送っていたある日、東京都内の駅で偶然、宗吉と会った。「人前で演奏するのは好きじゃない」旨を話すと、宗吉は「作曲の勉強をしなさいよ。先生を紹介するから」と述べ、自分が師事する作曲家の諸井三郎のもとに連れていった。

 「僕が今日まで来られたのは、尾崎君のおかげ」。木下は後年、折に触れて感謝の思いを口にした。

 今年四月三十日、木下は百二歳で人生の幕を下ろした。二人は久々の再会を喜んでいるだろうか。今ごろは雲の上で、音楽談議に花を咲かせているに違いない。

 

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