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静岡連載

夏の甲子園100年 球児たちの軌跡 静岡大会優勝校<7> 静岡商 

◆決勝戦 神風が吹いた

静高に勝った静岡大会決勝を振り返る藤波行雄さん=浜松市北区の常葉大浜松キャンパスで

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 ライバルとして競い合ってきた「静商(せいしょう)」と「静高(しずこう)」は、静岡大会決勝で過去六度、対戦している。一九六〇年までは静高の五戦五勝。六度目の五十一回大会(一九六九年)で、涙をのみ続けていた静商が静高の前に立ちはだかった。

 六八年夏に甲子園で準優勝した静商は、エースの新浦寿夫(67)が中退して巨人へ入団したため、窮地にあった。秋は地区大会で敗れ、明らかな戦力ダウンに主将藤波行雄(67)=常葉大浜松キャンパス硬式野球部総監督=は決意した。「結束して、チームワークで勝つしかない」。グラウンドには午後十時を過ぎても、ノックの音が響いた。

 しかし、静高との春の定期戦も4−8で完敗。抜けた新浦の穴を埋めるため、監督の橋本勝策(しょうさく)(77)=焼津市=は候補の一人だった二年の池谷公二郎(66)=元広島=を諦め、主軸の松島英雄(66)=元大洋=をエースに指名した。

 松島は橋本がノックで最も鍛えていた三塁手。下半身が強く、制球力も優れていた。松島、藤波を中心に臨んだ夏の大会。五試合中三試合で1点差の接戦を切り抜け、静高との決勝を迎えた。

 静高は六試合で59得点と猛打爆発で優勝候補の筆頭だった。静商不利との前評判を裏切り、試合は両先発の息詰まる投げ合いとなった。転機は三回裏、静高の1死三塁。中堅手の藤波への飛球は犠飛には十分な飛距離だったが、藤波の送球は中継を挟み、捕手へ。走者は本塁でアウトになった。藤波は「神風が吹いていた」と振り返る。

1969年の静岡大会決勝で静岡を破り、優勝旗を持つ藤波主将を先頭に場内を行進する静岡商ナイン=草薙球場で(藤波さん提供)

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 試合中、藤波は外野から本塁への強い風を感じていた。風が藤波の送球に勢いをつけたという。そして、この風がもう一度、静商に味方した。

 九回表、静商の2死二塁で七番打者が打席に入った。2ボール2ストライクからファウルで2球粘ったところで橋本が動いた。「ランエンドヒット」のサイン。投球と同時に二塁走者の松島がスタート。外野への打球は風に押し戻され、浅く守っていた左翼手の前に落ちた。

 このとき、藤波は一塁のコーチスボックスにいた。静商は三回表にけん制死を食らっていた。藤波の大里中学時代の同級生で静高のエース浦田欽也のけん制を警戒するためだった。藤波の警戒が松島の好スタートを後押しした。

 橋本は「浦田相手に連打はできない。向かい風でヒット一本ではかえれない。だったら自分たちでチャンスをつかむしかない」と采配を振り返った。突然のサインと、風と、偶然が重なり虎の子の1点となった。

 静商は甲子園でベスト8になった。この年を最後に四十九年間、静商と静高の決勝は実現していない。藤波は「あの決勝は野球人生でも忘れない。静高は永遠のライバル。日々つらい練習に耐えて、野球をやってきて良かったと感じた瞬間だった」。

=文中敬称略

(荒木正親)

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=終わり

 

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