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静岡連載

夏の甲子園100年 球児たちの軌跡 静岡大会優勝校<2> 浜松商(下)

◆猛練習 底力と誇り養う

浜商野球の歴史をまとめた冊子を懐かしそうに眺める磯部修三さん=磐田市で

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 第五十七回静岡大会(一九七五年)で八年ぶりに優勝した浜松商。「復活」から五年後の第六十二回大会(八〇年)は強さを見せつけた。シードで二回戦から決勝まで六試合を戦い、総得点が45点、総失点はわずか2点で甲子園への切符をつかんだ。

 当時、監督だった磯部修三(78)=磐田市=は、七八年春の甲子園、全国選抜大会の優勝が大きく影響したと感じている。「テレビなどで浜商の活躍を知った能力のある県西部の中学生たちが『野球をやるなら浜松商』と、こぞって集まってきた」と話す。チームづくりを、守り勝つ野球から、豪快に打ち勝つ野球に転換するタイミングとも合い、理想的な戦力が整っていた。

 浜商の猛練習は有名だ。キャッチボールやベースランニング、トスバッティングに至るまで、手抜きは許されない。激戦を戦い抜く技術力、精神力を備えるため、私生活を含めたすきのない選手育成だった。

 「グラウンドの内外で、緊張感とプレッシャーがあった。これだけしんどい練習をしたのだから絶対負けたくない思いだった」と、三年で主将だった小松直樹(56)=名古屋市=は振り返る。

浜崎修さん

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 大会前、「浜商を代表する選手でいたい」と自ら一番打者を志願。大会に入ると、初回の打席で八割近い出塁率を残し、チームを勢いづけた。小松は言う。「優勝はいまでも信じられないが、『HAMASHO』のユニホームを着ているだけで、相手に優位に立てたのかもしれない」と誇りに感じている。

 マウンドを守ったのは二年生エースの浜崎修(55)=浜松市南区。「先輩たちが打って、走って、点をどんどん取ってくれた。僕はリラックスして投げられた」と振り返る。初戦の二回戦の袋井戦から浜松西との決勝まで六試合中、登板した五試合41イニングで零封を果たした。

 浜崎はユニークなエピソードを覚えている。ベンチから伝令に来た上級生が「三年は負けたら引退だからいい。でも、また明日からあの夏のきつい練習が始まるな」と言われた。浜崎の投球に熱が入った理由の一つだった。

1980年の静岡大会で浜松商が優勝した瞬間。マウンド上でガッツポーズする浜崎修投手=本人提供

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 甲子園で浜松商は初のベスト8まで進んだが、浜崎は静岡大会の連投の影響で肩を故障した。磯部は「もし、浜崎が肩を壊さなかったら全国優勝も夢ではないチームだった」と残念がる。

 過去に夏の甲子園に九回出場し、二度、八強入りした浜松商は、二〇〇〇年を最後に静岡大会優勝から遠ざかっている。一昨年と昨年はベスト4まで進んだが、及ばなかった。

 「優勝したい思いがどれだけあるか。浜商のプライドを持って戦ってほしい」。小松は後輩へエールを送る。

=文中敬称略

(高柳義久)

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