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静岡連載

夏の甲子園100年 球児たちの軌跡 静岡大会優勝校<1> 浜松商(上)

 平成最後の夏の甲子園、全国高校野球選手権大会は百回目を迎える。夢の舞台に立った歴代の静岡代表は、県大会の激戦を勝ち抜き、郷土の期待を背負ってきた。時代を超え、語り継がれる球児たちの熱闘を振り返った。

◆粘りと頭脳 快進撃  

「頭やハートがかみ合えば野球は勝てる」と話す上村敏正さん=浜松市北区で

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 「野球って、頭やハート、いろんな要素がかみ合えば弱いチームでも勝てる。だから面白い」

 相手の隙をつく緻密な野球で、県内のみならず全国的にもその名が知れ渡る名門・浜松商。一九五〇年から二〇〇〇年の約五十年間、静岡大会で九回の優勝を果たすなど、県内の野球界をリードしてきた。同校で選手と指導者の両方で優勝経験がある上村敏正(61)=聖隷クリストファー中・高副校長=だからこそ、この言葉に説得力がある。

 上村が高校三年時の第五十七回大会(一九七五年)。チームは練習試合も含めて勝率五割に届かない弱小だった。大会ではノーシードながら二回戦から出場し、決勝までの六試合で五試合が逆転勝ちの「粘りの浜商」を見せつけた。

 当時、監督だった磯部修三(78)=磐田市=は「頭を働かせ相手の心理を読む。選手もよく理解し、徹底的に負けない野球をした」と振り返る。

1975年静岡大会で優勝を決め喜ぶ浜松商ナイン=草薙球場で、上村さん提供

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 例えば、富士宮北との四回戦。試合前のグラウンド整備で水が普段より多くまかれたことに気付いたベンチは、徹底してバント戦法をとった。相手が打球を捕る際に踏ん張りがきかず、送球などでミスをする確率が高くなるという読みが当たり、勝利につなげた。

 優勝候補の掛川西と戦った準決勝は大一番になった。1−3とリードされた八回に満塁のチャンス。けがで先発を外れていた山本常義(60)=森町=が代打に起用され、木のバットで高めの直球を強振した。右中間への走者一掃の三塁打になり、決勝点を挙げた。

 既に金属バットが導入されていたが、山本は「大会に入って全然打てなかった。気分転換で木のバットで打ったら感触が良かったので、ためらうことがなかった」と振り返る。

 急きょ救援して痛打を浴びた掛川西のエース伊藤伸彦(61)=袋井市=は「普通に戦えば勝てると思っていた。浜商は接戦をものにするいやらしい野球をしていた」と、今でも悔やむ。

犬居進さん

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 静岡学園との決勝は粘って延長戦に。十回表、無安打で効率良く2点を入れて頂点に立った。主将だった犬居進(60)=森町=は「2点が入った時点で、裏の守備があるのにベンチで泣いていた」と、四十三年前の感激を覚えている。

 浜松商よりも強いチームはたくさんあった。それでも優勝できたのは、ミスで怒られて萎縮するより、「なるようにしかならない」という開き直りが功を奏したのではないか。上村はそう考えている。

 六七年以来、八年ぶりに出場した夏の甲子園では、二回戦の石川(沖縄)戦で大会史上初となった逆転サヨナラ本塁打が飛び出すなど、三回戦まで進み、「浜商復活」を強く印象付けた。

 この経験を糧に、上村は子どものころからの夢だった高校野球指導者として活躍する。ただ、現役時代には絶対に戻りたくはないという。

 「だって再戦したら、二度と勝てない相手ばかりですから」 

=文中敬称略

(高柳義久)

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