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静岡連載

それぞれのW杯 静岡の先人たち<3>

◆国籍取得 初出場に貢献

 「礼儀正しいし、協調性もある。現代の日本人よりも日本人らしい選手だった」。ジャパンフットボールリーグ(JFL)の本田技研工業(現ホンダFC、浜松市)で、呂比須(ロペス)ワグナー(49)の日本の国籍取得に尽力した関強史(67)=浜松市北区=は、当時を振り返った。

 一九九四年末、Jリーグの柏レイソルを退団した呂比須は翌年、JFLの本田へ移籍し、得点王を獲得した。九六年九月、かねて希望していた日本の国籍取得に動きだした。「日本は治安もいいし、住みやすい。ここで、日本代表となって、お世話になった日本へ恩返しをしたい」

 当時、本田サッカー部の副部長を務めていた関は、静岡地方法務局浜松支部を訪れた。

 この年、呂比須はJFLで二年連続の得点王。36得点はリーグ新記録となった。ここで本田を退団し、オファーがあったJリーグのベルマーレ平塚(現湘南ベルマーレ)への移籍を決断した。日本の国籍取得は多くの時間を要する作業。「呂比須の国籍取得は、日本サッカー界にとって大事なこと」と信じていた関は、本田を退団した呂比須に寄り添い、浜松支部へ足を運んだ。

 九七年、ワールドカップ(W杯)フランス大会のアジア最終予選で日本代表は決定力不足を露呈。呂比須の日本代表待望論が浮上していた。同年九月に日本国籍を取得すると、すぐに日本代表に選ばれ、最終予選の韓国戦でデビュー。ウズベキスタン戦では、後半44分に日本代表として初得点となる同点ゴールを挙げるなど、日本代表に必要な選手となった。

 スピードはないが、抜群の得点力に、懐の深いキープ力。呂比須の加入で、日本代表は前線で起点ができた。イランとのプレーオフを制し、日本はアジア第三代表としてW杯初出場を決めた。

 九八年のフランス大会で日本は三戦全敗となったが、ジャマイカ戦でFW中山雅史が挙げた日本のW杯初得点を、頭でアシストしたのは呂比須だった。「あれから二十年もたちましたか。彼が日本代表のW杯初出場に貢献し、本大会でアシストをマークしたことを誇らしく思う」。関は感慨深げに話した。

 呂比須は引退後、二〇一二年にG大阪のコーチ、一七年に新潟の監督を務め、現在、ブラジルに戻っている。呂比須の日本国籍取得は、その後、DF三都主(サントス)アレサンドロやDF田中マルクス闘莉王(トゥーリオ)らにも引き継がれ、日本代表に大きな影響を与えた。

(文中敬称略)

 <ロペス・ワグナー(ブラジル名 ワグナー・アウグスト・ロペス)> 1969年1月29日、ブラジル・サンパウロ州出身の49歳。サンパウロFCとプロ契約。日産自動車(現横浜マリノス)のオスカー選手(当時)に誘われ、87年に来日。JFLの本田技研工業で95、96年にリーグ得点王。97年9月、日本国籍を取得し、すぐに日本代表に選出された。

 

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