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静岡連載

それぞれのW杯 静岡の先人たち<1>

◆「悲劇」の経験 女子育成に

女子日本代表選手の育成を目指す吉田光範さん=磐田市内で

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 サッカーのワールドカップ(W杯)ロシア大会が開幕した。日本代表は一九九八年フランス大会から六大会連続六回目の出場だが、ここまでの道のりは決して楽なものではなかった。あと一歩で初のW杯出場を逃した九三年のアジア最終予選から、静岡県ゆかりの選手たちが歩んできた苦難の歴史と、今の思いをつづる。

 九三年十月。日本中のサッカーファンが深夜にテレビの前でくぎ付けとなったW杯米国大会アジア地区最終予選のイラク戦(カタール・ドーハ)。勝てば、初のW杯出場が決まる一戦で日本は終盤まで2−1とリードしていた。ところが、痛恨の同点弾を喫し、W杯初出場は夢とついえた。サッカーファンはただぼうぜんと見守るしかなかった。

 この「ドーハの悲劇」を日本代表の中盤の選手として体感した吉田光範(56)=当時ジュビロ磐田=の脳裏には、悪夢が今でも、こま送りでよみがえる時がある。「相手のショートコーナー。三浦知良がかわされて日本ゴール前にクロスボール。相手のヘディングシュートが緩やかな弧を描いてゴールネットを揺さぶった。何度も思ったが、結局、力がなかった証拠なんです。みんな消耗しきっていたので、クロスボールに対応できなかった。力があれば勝てていた」

 二十五年近くが過ぎ、吉田は出身地の愛知県刈谷市に戻り、なでしこリーグ加盟を目指すFC刈谷アルフトゥーロレディースの監督を務めている。吉田は「将来的には、女子日本代表選手を育成したい」と夢を描いている。刈谷市は戦前から戦後にかけ、サッカーが非常に盛んだった。ジュビロ磐田の一員として磐田黄金期の礎を築いた吉田にとって、刈谷のサッカー復権は欠かせないライフワークとなった。

 ことし四月、FC刈谷は磐田市のヤマハ加茂グラウンドで、中学生のジュビロ磐田レディースと親善試合を行った。審判を務めた磐田の普及コーチの志田文則はFC刈谷のサッカーについて「ボールをしっかりとつなぐ素晴らしいサッカー」と評価した。

 吉田にとって、サッカーとはボールをつなぐものという認識がある。それは元日本代表監督のオフトからも薫陶を受けた。吉田は「簡単に勝ちたいならば、ロングキックで、走って勝つというサッカーもある。だけど、それでは、個人の力は育たない。しっかりとつなぎ、全体の連係で勝つサッカーをしたい。そうすれば強さを発揮することができる」とこだわりをみせた。

 ドーハの悲劇を経て、引退後、磐田でユース(高校)の監督を担い、トップのコーチも経験した。W杯の夢舞台に立てなかった悔しさは、故郷のサッカー復活という新たな夢の実現へのエネルギーとなっている。アルフトゥーロはスペイン語で「未来」の意味だ。

(川住貴)

(文中敬称略)

(この連載は5回です)

 <よしだ・みつのり> 1962年3月8日、愛知県刈谷市出身の56歳。刈谷工高卒業後、ヤマハ発動機サッカー部(現ジュビロ磐田)に入部。82年度天皇杯優勝に貢献。85年に初めて日本代表に選ばれ、94年W杯米国大会のアジア地区最終予選(93年)の日本代表。磐田では主将も務めた。引退後、磐田トップコーチを経て現在はサッカー解説のほか、吉田サッカースクールなどを運営。

 

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