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静岡連載

重い扉 袴田さん再審開始取り消し(下)

◆残された時間 あと少し

冨士茂子さんの遺影を掲げて活動した当時を振り返る松浦章仁さん。「生きているうちに再審無罪を」と世論に訴えることの重要性を語った=徳島市で

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 捜査機関の見込み捜査、犯人しか知り得ない「秘密の暴露」のない自白。「徳島事件とそっくりだ」。一九九四年に袴田巌さん(82)の弁護団に加わった元判事の秋山賢三弁護士(77)は判決文や膨大な記録を読んで直感した。

 秋山弁護士は、日本の刑事裁判史上初めての死後再審となった徳島ラジオ商事件で、再審開始決定を出した主任裁判官だった。再審請求の重さ、厳しさは人一倍心得ているつもりだ。今回、東京高裁がここまで弁護団の主張を否定するとは思わなかった。一通しか採用されてない自白調書や犯行着衣のはずなのにはけないズボン。「事件全体の流れを見れば、確定判決に合理的な疑いを抱くのは明らか。袴田さんは犯人ではない」と憤る。

 徳島事件では被害者と内縁関係にあった冨士茂子さんが犯人とされた。「夫殺し」の汚名を着せられたまま、六十九歳で再審請求中に亡くなり、後になって無罪が確定した。

 当初は外部侵入者による犯行とみられていたが、別の事件で逮捕された店員二人が「夫婦が格闘しているのを見た」と偽証した。捜査が「内部犯行説」に転換し、冨士さんは逮捕された。長時間の取り調べに屈して自白。懲役十三年の刑が確定した。

 確定判決を揺るがしたのは、有罪の決め手となった証言をした店員二人の告白だった。支援者らが二人から「検察官の強要があった」との言葉を引き出した。日本国民救援会徳島県本部による現地調査でも、二人が事件発生時と同じ条件で、白い浴衣姿の冨士さんを目撃することは不可能だったことが明らかになった。徳島県本部の松浦章仁事務局長(75)は当時の写真を見つめながら涙ぐむ。「亡くなった日は、みんなで死ぬなって泣いた。茂子さんが一番悔しかったはず」

 冨士さんの死後、再審請求は姉妹弟四人に引き継がれ、死後六年目に無罪が確定した。袴田さんの姉秀子さん(85)とも数度会ったことがあるという松浦さんは「『生きているうちに無罪を』。これをもっと世論に訴えていかなければならない」と徳島事件が残した教訓を語る。

 「いくら冤罪(えんざい)を訴えても、再審で無罪判決を勝ちとらなければ、世間はそう見てくれない」。長年戦った松浦さんは言う。徳島事件では、作家の瀬戸内寂聴さんや政治家の故・市川房枝さんらも支援し追い風を受けた。「いろんな人が戦った。だからこそ死後だったが勝てた」とも思う。

 袴田さんの弁護団の西嶋勝彦団長も、冨士さんの弁護団として奔走した一人だった。袴田さんの場合は今回決定が覆り、さらなる長期化も予想される。西嶋団長は「巌さんも姉の秀子さんも、残された時間は少ない。もしこのままでは、徳島事件と同じことが起こりうる」と話した。

(この連載は角野峻也、鈴木凜平が担当しました)

 <徳島ラジオ商事件> 1953年11月、徳島市中心部でラジオ店経営者が自宅で殺害され、内縁の妻だった冨士茂子さんが逮捕され、殺人罪で起訴された。一審の徳島地裁で懲役13年の実刑判決を受けた冨士さんは控訴したが棄却され、上告後に自ら取り下げて58年に刑が確定。その後再審請求を続けたが、79年11月に69歳で死去した。冨士さんの死後は姉妹弟4人が再審請求を引き継ぎ、80年に徳島地裁が再審開始決定。85年に無罪が確定した。

 

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