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静岡連載

重い扉 袴田さん再審開始取り消し(中)

◆弟守り「百まで生かす」

東京高裁の決定後に初めて対面し、心境を語る袴田巌さん(右)と姉の秀子さん=12日、浜松市中区の公園で

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 十二日夕。この日も散歩に出た弟は、浜松市中区の公園にあるベンチに座っていた。前日、弟・袴田巌さん(82)の再審開始決定が覆されたばかり。姉秀子さん(85)は弟の心の中が気になっていた。「うち、帰るの?」。返事はなかったが、普段通りの遠くを見ているような顔。「何も変わっていない」と安心した。

 「事件なんてありゃあせんのだ」という弟に東京高裁の決定を話すつもりはない。「この四年で再審がどうのこうのって、巌は言わなかった。だから言わないの」。ベンチで記者に囲まれる弟を尻目に「ふっふ」と笑う。

 弟が「ない」という事件は袴田家を一変させた。袴田さんは六人きょうだいの末っ子。すぐ上の姉だった秀子さんは、事件の発生直後に実家に戻ってきた弟が普段と変わらない落ち着いた口ぶりだったことを今も思い出す。事件とは無関係だと信じていたが、やがて弟は逮捕された。世間から隠れて生活を送る中、獄中の弟から無実を訴える手紙が届いた。母は一九六八年、静岡地裁で死刑判決が出た直後に他界していた。「自分が巌を支えたい」。母への「親孝行」代わりに、弟の支援に身を投じる覚悟を決めた。

 「子どもの時から、巌はかわいかった。今もその延長」。面会を拒否されても拘置所通いは続けた。たとえ、会えなくても、刑務官が姉の来たことを伝えてくれる。「信じているよっていう気持ちを伝える手段は、面会に行くしかなかった」。いつか弟が世間に戻り、平穏な生活ができるようにと、生活を切り詰め、経理の仕事で金をためた。自宅の四階建てビルも建てた。

 四年前に願いがかなった弟と水入らずの暮らし。四十八年に及ぶ拘置所生活で岩のように固まっていた巌さんの心は少しずつ和らいだが、いまだに「ボクシングで一番強くねえとローマの王になれねえんだ」と、拘禁症状がつくる独特の世界に浸る。それでも秀子さんにとって巌は巌。「三日入ればおかしくなるという刑務所に四十何年もいたんだ。そりゃあそうなるよ」

 八十五歳を迎えた誕生日の二月、秀子さんが、東京高裁に出した陳述書はわずか二文だった。「巌に一番効く薬は自由しかございません。どうぞ、ぜひ自由をお与え下さいませ」。四年前とは真逆な結果だったが、気持ちは今も変わらない。

 秀子さんは気丈だ。「再審開始に向けて頑張るしかないんですよ。へこたれているわけにはいかん。あたしは百まで生きるつもりでいるから、巌も百まで生かしたい」

(角野峻也)

 

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