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静岡連載

再審の今 6・11 袴田巌さん高裁判断を前に(上)

◆検察の上訴権

奥西勝元死刑囚

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 死刑確定後、静岡地裁の再審開始決定で釈放された袴田巌さん(82)を巡る即時抗告審で、東京高裁は十一日に再審の可否を判断する。「開かずの扉」ともいわれる再審。DNA型鑑定の精度の向上などで光が見えるものの、再審公判を開くまでの道のりは長く険しい。判断を前に、ほかの再審請求事例をひもとき、現在の日本の再審制度の課題と現状を探る。

 開きかけた扉は、再び固く閉ざされた。二〇一二年五月、名張毒ぶどう酒事件の第七次再審請求・差し戻し異議審。名古屋高裁前で朗報を期待していた支援者らの前に掲げられたのは「不当決定」の幕だった。「まさに悪夢だった」。奥西勝元死刑囚(一五年に病死)と計二百八十九回にわたり面会してきた支援者の稲生(いのう)昌三さん(79)=愛知県半田市=は振り返る。

 事件発生から四十四年後の〇五年に出た再審開始決定。名古屋拘置所に駆けつけた稲生さんは、ぽろぽろと涙を流す奥西元死刑囚とアクリル板越しに両手を合わせ喜んだ。決定を受けて奥西元死刑囚が口にしたのは、司法への怒りでも憎しみでもなく、「裁判官に感謝とお礼を申し上げたい」という言葉。「素朴で律義な奥西さんらしい。無実の訴えがいつかは司法に届くと信じていたんです」

 事件の司法判断は揺れに揺れた。一審無罪、二審死刑、再審開始決定、取り消し、差し戻し、棄却−。度重なる再審請求で、弁護団は数々の新証拠を提出した。元死刑囚が歯で開けたとされたぶどう酒瓶のふたの折れ曲がり方は、人の歯によるものではないとする鑑定結果。毒物は、当初自白した農薬「ニッカリンT」ではないとする分析結果。その他を含め、一度は無罪を言い渡すべき明らかな証拠と認定されながらも、最終的には棄却された。

◆二重の壁 長引く審理

再審開始が認められず、無念の表情で支援者にあいさつする鈴木泉弁護団長(右端)=2012年5月、名古屋高裁前で

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 直近の第十次再審請求審は、高裁、検察、弁護側による三者協議も開かれずに棄却された。鈴木泉弁護団長(71)は「再三求めていたにもかかわらず、提出した新証拠の説明の場すら与えられなかった」と裁判所の姿勢を疑問視。「確定判決を絶対視しているようにしか思えない」と憤る。

 一審無罪、そして再び無罪への道である再審開始決定が出ても、さらに延々と続く審理。長期化の要因に「検察の上訴権」を挙げる声は多い。袴田巌さんの第二次再審請求でも、一四年三月の静岡地裁の再審開始決定後に検察側が即時抗告。東京高裁での審理は四年にも及んだ。

 名張事件の鈴木弁護団長は、再審請求での審理と再審開始決定後に開かれる再審公判がある現状を「実質的に二重構造になっている」と指摘。「再審公判でも検察側が争う機会は十分に保障されている」と指摘し、「ドイツなどのように法整備をして、再審請求段階での検察の上訴は禁止すべきだ」と訴える。

 獄中から無実を訴え続けた奥西元死刑囚は、東京・八王子医療刑務所で寝たきりになった末、一五年十月、八十九歳で力尽きた。医療刑務所に駆けつけた妹の岡美代子さん(88)は「よう頑張ったなあ、悔しいなあ、無念やなあ」と荼毘(だび)に付された兄に、涙ながらに呼び掛けていたという。傍らに立っていた稲生さんは今でも思う。

 「奥西さんは、『疑わしきは被告人の利益に』という刑事裁判の鉄則を無視され続けた。なぜこんな事態になったんだ」 

 <名張毒ぶどう酒事件> 1961(昭和36)年3月、三重県名張市葛尾の公民館で開かれた地元グループの懇親会で、ぶどう酒を飲んだ女性17人が中毒症状を訴え、5人が死亡した。奥西勝元死刑囚は農薬ニッカリンTを混入したと当初自白して逮捕され、殺人罪などで起訴された。起訴直前に否認に転じた。

 元死刑囚は一審で無罪、二審で逆転死刑判決を受け、72年に確定。第7次再審請求で名古屋高裁は2005年に再審開始決定を出したが、翌年に取り消され、13年に棄却が確定した。元死刑囚の死後、妹が再審請求を引き継ぎ、第10次再審請求の異議審が名古屋高裁で審理中。

◆自白の変遷「不自然」

逮捕当日の取り調べ録音テープの反訳文。捜査員と袴田巌さんの押し問答が続いている

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 一九六六年に清水市(現静岡市清水区)で一家四人が殺害された強盗殺人事件で死刑確定後、静岡地裁の再審開始決定で釈放された袴田巌さん(82)=浜松市中区=の即時抗告審で、東京高裁は十一日、再審の可否を判断する。袴田さんは一度は犯行を自白したが、公判で否認に転じ、一貫して無実を訴えてきた。弁護団は二〇一五年に開示された約四十八時間分の取り調べ録音テープに注目。「自白の経過を分析すれば明らかに無実」とする専門家の鑑定書を新証拠として提出している。

 「おまえの行為を反省してもらいたいだ。俺らそれだけ要望するだよ」

 「それじゃまるで、俺がやったことにしかならないじゃん」

 捜査員と袴田さんの押し問答は、一九六六年八月の逮捕直後に清水署の取調室で録音された。県警の捜査記録によれば、逮捕の決め手は被害者と同じ血液型の血が付いたパジャマ、事件当夜のアリバイがないことなど数点のみ。証拠がそろわず、「自供を得なければ真相把握が困難な事件であった」と記されている。

 一日平均十二時間の取り調べが続いた。「山と積んだ証拠があって、初めて裁判官が逮捕状出すんだ」。勾留期限が迫ると、捜査員はひたすら謝罪を求めた。「申し訳なかったと、大声で泣きなさい」「おまえは四人を殺しただ」。袴田さんは無言のままだ。

◆弁護団「明らかに無実」

「自白を分析すれば、袴田さんの無罪は明らか」と語る浜田寿美男・奈良女子大名誉教授=大阪府伊丹市で

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 テープや供述調書を鑑定した浜田寿美男・奈良女子大名誉教授(法心理学)は「朝から晩まで責められ、自分の話は聞いてもらえない。絶望的な無力感に襲われ、犯人を演じるしかなかった」と分析する。自白に転じた場面のテープはないが、捜査記録によれば、勾留期限の三日前に「私がやりました」と犯行を認めた。

 だが、浜田名誉教授は「自白の中身は袴田さんが犯人でないことを、むしろ積極的に示している」と主張する。最初の自白後の供述に変遷が多く、捜査員が証拠との不一致を指摘する場面が目立つためだ。

 凶器に関する最初の自白は「事件四日前に(被害者の)専務の奥さんからもらった」だったが、捜査員に追及され、最終的に「三月末か四月初めの日曜に沼津で買った」と変わった。動機についても「肉体関係があった専務の妻に『家を新築したい』と頼まれた」と話したが、起訴時に「母と息子と三人で暮らす金が欲しかった」となった。

 浜田名誉教授は「自白の不自然な移り変わりは、袴田さんが犯行の詳細を知らず、自分で筋書きを考えたから起きた。捜査員は袴田さんの犯行と思い込み、手持ちの証拠に合う供述を得ようと必死だった」と語る。

(西田直晃)

◆検察側「最初からうそ」

 検察側は即時抗告審の最終意見書で、浜田名誉教授の鑑定に真っ向から反論する。「最初に自白した段階では犯情を軽くするためにうそをついていた」と指摘し、凶器の入手経緯のずれなどは「あいまいな記憶を基に話をしていた」と説明する。さらに「取調官から何の誘導も受けることなく、凶器を購入した店の場所、対応した店員の特徴などを供述できている」とし、鑑定を「無罪方向での説明が可能な証拠しか取り上げていない」と批判している。

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