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静岡連載

清水・一家4人強殺 52年の道筋(上)

 発生から五十二年の時が流れた清水・一家四人強盗殺人事件。袴田さんはどのように犯人とされ、どのように無罪を求めたのか。新たな節目は六月十一日。東京高裁による再審可否の判断を前に事件を振り返る。

◆1966年 事件発生−起訴

事件前の袴田巌さん=弁護団提供

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 「ボクサーくずれだって言われたくねえ」「なんで殺さなきゃ。何かでっち上げがあるからだ」

 一九六六年八月、清水署の取調室。自供を迫る捜査員を前に、当時三十歳の袴田巌さん(82)=浜松市中区=は否認を続けていた。

 この一カ月半前、事件は起きた。六月三十日午前二時ごろ、清水市横砂(現静岡市清水区横砂東町)のみそ製造会社「こがね味噌(みそ)」の専務宅から出火。焼け跡から専務のほか、妻、中学生の長男、高校生の次女の遺体が見つかり、それぞれ十数カ所の刃物による傷があった。当時十九歳の長女だけが近くの祖父母宅にいて難を逃れた。

 県警は従業員の犯行が有力と判断した。捜査記録によれば、会社の給料日に売上金のみが奪われたこと、専務宅の中庭から社用の雨がっぱが見つかったことなどが理由だった。他の従業員と異なり、袴田さんにはアリバイがなかった。さらに、過去の経歴や素行も犯人視の一因になったようだ。

◆乏しい物証 捜査記録に「ボクサーくずれ」

専務一家4人の他殺体が見つかった事件現場=1966年撮影(弁護団提供)

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 捜査記録に「ボクサーくずれの被疑者を検挙」というくだりがある。袴田さんは中学卒業後、十代後半からボクシングを始め、県代表として国体で活躍し、後にプロボクサーに転身した。しかし、目や足の故障により引退。キャバレーやバーで働いていたが、ギャンブルなどで借金を抱えた。

 その後、こがね味噌で働き始めたが、工場の同僚と親しく付き合うこともなかったという。当時、同じ寮にいた同僚の男性(76)は「覚えているのは、毎週末に実家で暮らす息子に会いに行っていたことくらい」。妻とは離婚し、浜北市(現浜松市浜北区)の実家に長男を預けていた。

 七月四日、県警は現場近くにある工場を家宅捜索。二階に従業員寮が併設されており、袴田さんの部屋から血の付いたパジャマを押収した。犯行着衣とみられるパジャマの存在に加え、事件当夜にできた左手中指の傷を、県警は「刃物によるもの」と判断。八月十八日、強盗殺人などの疑いで袴田さんを逮捕した。パジャマの血の血液型が被害者のうち三人と一致し、同じパジャマから放火に用いられた混合油の成分が検出された。

◆「動機は金」「自供」

 袴田さんは関与を否定したが、一日平均十二時間の取り調べを経て、勾留期限三日前の九月六日に犯行を自白。後に取り調べの録音テープが開示され、袴田さんと捜査員のやりとりの一部が明らかになった。

 犯行の動機は「離れた息子と母親の三人で暮らす金欲しさ」とされた。当時の新聞は「袴田自供」と大々的に報じたが、直接証拠はこの自白しかなく、パジャマの血も油も、袴田さんが犯人と決定付けるものにはなっていない。

 事件を取材した元全国紙記者の富永久雄さん(78)=静岡市駿河区=は言う。「警察の見立てに沿って、元ボクサーの経歴にも引きずられた。事件を検証し、報じるという頭は浮かばなかった」。九月九日、袴田さんは起訴された。

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