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静岡連載

清水・一家4人強殺 52年の道筋(中)

◆起訴−死刑確定

 視線をそらさずに見つめていた。今年一月、福岡市東区の香椎原(かしいはら)病院。ベッドに横たわる元裁判官の熊本典道さん(81)は、浜松から訪れた袴田巌さん(82)と姉秀子さん(85)に向けて声を振り絞った。「いわお…、いわお」。脳梗塞の後遺症で会話はできなかったが、「顔を合わせて謝りたい」との念願を果たした。

◆「自白」迫り過酷な聴取 

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 五十二年前の秋、静岡地裁。「私は全然やってません」。初公判の場で、袴田さんは宣言した。当時の中日新聞の報道によれば、被告席で身動きせず、裁判長を見上げていた。捜査段階での自白から一転、全面否認へ。十一月に転勤してきた熊本さんも第二回公判から審理に加わった。

 記録によれば、その後の公判で、袴田さんは自白した理由を証言している。

 「長期的な調べで体も疲れ切って、ほとんど寝られないような状態。(中略)『認めりゃ休ませてやる』と警察官が言い、静かにしてもらいたいから、『昼から認めるから午前中は休ましてくれ』と言った」

 髪の毛をつかまれ、暴言を浴びせられた−。袴田さんは取り調べの理不尽さを訴えた。起訴時に犯行着衣とされたパジャマの鑑定の正確性も疑われた。関与を直接示す証拠はなく、公判の行く先は不透明だった。

 事件から一年二カ月後の一九六七年八月。みそ工場のタンクの底から、被害者の血痕が付着した「五点の衣類」が見つかった。ねずみ色スポーツシャツ、白半袖シャツ、鉄紺色ズボン、白ステテコ、緑色ブリーフがまとめて麻袋の中に入っていた。数日後、県警は袴田さんの実家でズボンの端切れを押収。鉄紺色ズボンの生地と一致し、検察は犯行着衣を「五点の衣類」に変更した。

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 袴田さんは「私のものではない」と否定。しかし、静岡地裁は六八年九月、この「五点の衣類」を最重要証拠として死刑を言い渡した。判決文は熊本さんが書いた。ただ、自白の任意性を疑い、供述調書四十五通のうち証拠として採用したのは一通のみ。さらに、異例の「付言」を加えた。

 「極めて長時間に亘(わた)り被告を取り調べ、自白の獲得に汲々(きゅうきゅう)として、物的証拠に関する捜査を怠った。厳しく批判され、反省されなければならない」

 東京高裁の控訴審では、「五点の衣類」の装着実験があった。袴田さんはズボンをはけなかったが、検察側は「みそに漬かるなどして収縮したため。事件当時ははけた」と反論。高裁もこの主張を支持し、八〇年十一月には最高裁が上告を棄却した。袴田さんは確定死刑囚となった。

◆元裁判官 判決悔やむ

病床の元裁判官・熊本典道さん(右)と対面する袴田巌さんと姉秀子さん=今年1月、福岡市東区で(ジャーナリスト・青柳雄介さん撮影)

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 熊本さんは地裁判決の翌年に退官した。弁護士に職を替えたが、冤罪(えんざい)の恐怖心に苦しみ酒浸りになったという。二〇〇七年一月、袴田さんの支援者宛てに手紙を送った。「最終の合議の結果、二対一で私の意見は敗れ、心ならずも信念に反する判決書に一カ月を要した」。直後に秀子さんと面会し、メディアを通じて「無罪の心証があった」と告白した。

 現在は体調を崩し、長い入院生活を送る。この十年余り、熊本さんの生活を支えてきた女性(77)は語る。

 「袴田さんの報道に触れるたびにずっと、謝りたいと泣いていた。本当に会えてよかった」

 

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