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静岡連載

追放の先に 海老塚・暴力団和解から30年<中>

◆財産権崩し和解 人格権を盾に道開く

暴力団追放運動の先頭に立った三井義広弁護士=東京都千代田区の弁護士会館で

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 「判決だけでは得られない、百二十パーセントの勝利」。住民側弁護団として、海老塚地区(浜松市中区)から暴力団組事務所を追放する訴訟の先頭に立った日本弁護士連合会副会長の三井義広弁護士(65)が和解に抱く思いは、今も変わらない。三十年の時が過ぎ、髪も白くなった。

 組事務所の撤去で合意した和解は、建物を暴力団員などに売却・使用させないことや、組員らが住民に対して一切加害行為に出ないことも確約させた。

 三年に及ぶ運動では、地元住民らが襲われ、静岡県警は全警察官の四割に当たる約二千人を警護や捜査に投入。隣の愛知、神奈川県警からも応援を得た。当時、浜松中央署防犯課長だった浅井政則さん(71)は「まさに非常事態だった」と振り返る。だからこそ、地域住民に危害を加えないと約束させた和解に、「判決以上」の重みを感じた。

 訴訟で、何の武器も持たない住民らの盾となったのは、平穏な日常生活を営む「人格権」。暴力団とはいえ、憲法によって保障された財産権の制約を認めさせたアイデアは、一九八七年六月、浜松の弁護士らによる合宿で生まれた。

 二日間の議論の末にたどりついたのは、公害や騒音の被害者が、人格権に基づき損害賠償や使用差し止めを求めた訴訟からの転用だった。暴力団事務所の存在で、抗争の勃発におびえる暮らしを余儀なくされるのは、日常生活を悩ませる公害や騒音と何ら変わらないのでは−。「行けるんじゃないか」。財産権を切り崩す戦法が固まった。

一力一家と住民の和解成立後、握手する住民側弁護団長(左)と一力一家側代理人の弁護士。左端は三井義広弁護士=1988年2月19日、浜松市の弁護士会館で

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 その二週間後。市内の喫茶店で打ち合わせをしていた時、赤い上着の男が階段を駆け上がって来るのが見えた。間もなく背中にドン、と鈍い感触がした。気づくと、服に血がにじんでいた。

 刺された、と分かった。恐怖よりも、暴力で運動を封じ込めようとする手法への憤りが頭の中を駆け巡った。傷は肺まで達する重傷。病院に駆けつけた弁護士仲間も「こんなことは許してはいけない」と怒りをあらわに。「絶対に勝たなければいけない」。東京や大阪、名古屋の弁護士も巻き込み、さらに団結した。

 住民らの人格権を重く見た国内初の和解は、「励みになる」「手本ができた」と各地に波及。和解翌年の八九年の警察白書によると、八八年は前年比35%増の二百五十三カ所の組事務所が撤去された。三井弁護士は「追放運動のターニングポイントとなったことは間違いない」と話す。

 県暴追センターの前島圭介事務局次長(46)は、三年に及ぶ運動で、「暴力団と戦う住民らが、背負うリスクの大きさを浮き彫りにした」と話す。その後法整備が進み、二〇一二年の改正暴力団対策法で、住民らに代わって組事務所の使用差し止めを求める訴訟を、各地の暴追センターが起こせるようになった。

 三十年前の運動当初は、弁護士の間でも事務所の撤去までは難しいとみられていた。しかし、人格権を盾に、若手弁護士らが大きな道を開いた。「今の暴力団対策の礎となる和解だった」。三井弁護士は、今もその意義をかみしめている。

(角野峻也)

 <人格権> 個人の生命や健康、名誉、平穏な暮らしなどにおいて、他者からの不当な侵害を許さず、保護されなければいけない権利の総称。憲法13条の「幸福追求権」などに由来するとされる。2014年に福井地裁が関西電力大飯原発3、4号機の運転差し止めを命じた判決では、人格権は「法分野において、最高の価値を持つ」と指摘された。

 

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