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静岡連載

平成人<4> スズキ浜松AC・マラソン選手 清田 真央さん

清田 真央(きよた・まお)さん 24歳 平成5年生まれ

東京五輪出場を目指し練習に励むスズキ浜松ACの清田真央選手=浜松市西区大平台で(斉藤直純撮影)

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◆「笑顔でゴール」夢へ加速

 日本の“お家芸”と呼ばれた女子マラソン。一九八四年のロサンゼルス大会で五輪種目になってから、日本人メダリストが次々生まれた。スズキ浜松アスリートクラブ(AC)の清田真央選手(24)も少女の頃、そんな選手に憧れた。今や若き日本のエースとなった彼女が見据えるのは、二〇二〇年。東京五輪の大舞台だ。

 「高橋、フィニッシュ、金メダル!」

 〇〇年のシドニー五輪。当時二十八歳の高橋尚子さん(45)が、日本人初の快挙を成し遂げ、国内が熱狂に包まれた。

 清田選手は当時、「鬼ごっこ」や「どろけい」といった体を動かすことが大好きな小学一年生。愛知県渥美町(現・田原市)の自宅で、家族とテレビの中継映像を見ていた。

 「ゴールの瞬間は今でも鮮明に思い出す。すごかった」

 感動したのは、42・195キロを世界一早く走ったからではない。高橋さんがゴールの時、笑顔だったからだ。

 私もあんな舞台を笑顔で走り抜きたい−。六歳の少女に夢ができた。

 小学三年の時、友達に「陸上教室に行こう」と誘われた。最初は短距離が好きだったが、長距離で一番になるのがうれしくて、練習するようになった。

 〇四年、野口みずきさん(39)は二十六歳でアテネ五輪に出場し、金メダルに輝いた。ゴールの瞬間はやっぱり笑顔だった。1000メートルが精いっぱいだった小学五年生の自分は「勇気づけられた」と言う。

 中学時代にジュニアオリンピックに出て頭角を現すと、駅伝の強豪校、中京大中京高(名古屋市)へ。卒業後に進路として選んだのが、スズキ浜松ACだった。「チームの雰囲気が良かったから」。迷いはなかった。

 クラブで身に付けた腕を下げたまま走るフォームで、一六年三月の名古屋ウィメンズでマラソン初挑戦ながら2時間24分32秒の日本人三位。翌年の同大会は前年より45秒早くゴールし、同二位に入った。

 だが八月、初めて臨んだ世界陸上は「想像以上の苦戦だった」と振り返る。レース終盤まで先頭集団に食らいつくも脱落。2時間30分36秒で十六位に終わり、一九九七年のアテネ大会から続いてきた日本勢の入賞者が途絶えた。

 「世界陸上レベルになると、スタートの瞬間から駆け引きが始まっている。最後の勝負までをイメージしなきゃいけなかった」。それは「今の日本人選手に足りないことでもある」とも語る。

 アフリカ勢が次々と記録を塗り替える中、日本人の記録更新は二〇〇五年から止まっている。五輪女子マラソンで、日本勢は〇八年の北京から三大会連続で入賞者さえいない。

 「自分たちの世代が頑張る時代だ」と自覚する清田選手。かつての少女は、二〇年の東京五輪に向けて夢を描く。「笑ってゴールして、メダルを取る。私の走りで、子どもたちに夢を与えたい」

取材・鈴木凜平(平成3年生まれ)

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